結婚していなかったら怖すぎて別れていたかもしれない、と明かす麻里さん。しかし、婚姻というハードルによって別れを踏みとどまった。
「原因がわからないまま別れても、次も同じようなことを繰り返すでしょう。キレること以外はすばらしいダンナさんなのです。キレない人と再婚したとしても、その人がまともに働かずに家事もしなかったら尊敬できるだろうか、と思い直しました」
専門書やインターネット、病院の力を借りて、麻里さんは郁夫さんとの関係を見つめ直した。すると、「彼は私のことをすごく考えて話しているのに、それに私が気づかない様子だと傷ついてしまう。行動だけでなく、気持ちをちゃんと言葉にして伝えることが重要」という答えに行きついた。
一方で、言葉のDVは絶対に受け入れられない。麻里さんは自分の反省点を述べて「努力して改めていく」としたうえで、「キレるのだけはやめてほしい。それをされると何も言えなくなってしまう」と郁夫さんに伝えた。この話し合いの後は、ふたりの関係性は緊張感をはらみつつも穏やかなものになった。
「今後も『何かあるかもしれない』とはつねに思っています。夫婦といってもしょせんは他人ですからね。相手の言葉の裏まではなかなかわかりません。彼が発する小さなサインをできるだけ見逃さないようにしています。
たとえば、『そんな冷たい言い方をしなくてもいいじゃないか』と軽く言われたとしますよね。その時点でちゃんと受け止めてフォローしておけばいい。彼に何か直してもらうときも、男性が『ごめん』と言いやすい伝え方があると思います」
僕もまったく他人事ではないが、郁夫さんは幼児性を残した男性だと感じる。外ヅラはいいのだけれど、母親代わりの妻の前では「駄々っ子」になってしまうのだ。幼児ならしつけられるが、大人の力とプライドを持っているだけに厄介である。
しかし、麻里さんを含めたほかの大人たちも、それぞれが歪みや弱点を持っているはずだ。「三つ子の魂百まで」というから性格や価値観を大きく変えることはできないが、共有体験と話し合いによって、理解と歩み寄りはできるし、お互いの欠点を人畜無害なレベルまで抑えて薄めることも可能だと信じたい。それは結婚のひとつの成果だと僕は思う。
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