「パイプの騎士」の称号を持つ男が語る「粋と野暮」 権力者は変わっても文化は連綿と続いてきた

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

――この根付けも、わざわざ持っていっているのに中を見せないんですね。

:見せない見せない。見せちゃったらいただけない、野暮だよね。

粋と野暮ってのは表裏一体なんですよ

――粋と野暮の境目ってなんでしょうね。素人には難しいです。

:「粋」というのは、簡単に言うと、色気と、張り、遠慮や恥じらいですね。見た目で言うと地味から華美の中間点あたりかな。僕はそう解釈してる。張りもね、そこに恥じらいとか遠慮がなきゃただのつっぱり(粋がる)になっちゃうから。「粋」も過ぎれば「野暮」となる。歌舞伎十八番「助六所縁江戸櫻」の河東節に「野暮は揉まれて粋となる」という節があるじゃない。粋と野暮ってのは表裏一体じゃないの?

――遠慮や恥じらいも粋には必要なんですね。それは相手を思いやる心に通じるものと解釈していいんでしょうか。

:そうですね、心遣いみたいなものでしょうか。例えば雨の日に着物を着ていくなら、座敷が汚れないように外套足袋を履いていって、座敷に上がるときには新しい足袋に替えるのもそれですね。できれば二枚鞐(こはぜ)か三枚鞐の座敷足袋がいい。見た目もすっきりする。

あるいは芸者衆には祝儀を渡すとき、そのまま渡すんじゃなく、ポチ袋に入れて渡す。ポチ袋は小さきゃ小さいほどいいんだよ。ポチ袋がなかったら、折り紙で子袋作って中に入れる。現金で渡すよりも粋でしょ。そういうちょっとした心遣いが大事だと思うね。

次ページ柘さんが粋がることをやめたきっかけ
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事