「パイプの騎士」の称号を持つ男が語る「粋と野暮」 権力者は変わっても文化は連綿と続いてきた

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創業86年のパイプメーカー・柘製作所会長、柘 恭三郎さんは東京下町の文化を肌で経験してきた人。その昔、男たちはどんなふうに遊び、どんな男がモテたのか聞いてみました(写真:トヨダリョウ)
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江戸からの由緒ある歓楽街・浅草で生まれ育った創業86年のパイプメーカー・柘製作所会長、柘 恭三郎さんは、東京下町の文化を肌で経験してきた人。その昔、男たちはどんなふうに遊び、どんな男がモテたのか聞いてみました。どうやらそのキーワードは「粋」と「野暮」のようでして……。

東京の下町、浅草のパイプ職人の家に生まれ育った生粋の浅草っ子、柘 恭三郎(つげ・きょうざぶろう)さん。父親がパイプメーカー「柘製作所」を立ち上げ、後継者となった柘さんは世界に目を向け取り引きを開始。今では国内はもちろん、国外でも百数十の会社と取り引きを行う、世界的なパイプメーカーとなり、パイプ愛好家であれば知らぬ人はいない会社へと成長しました。 

本記事はLEON.JPの提供記事です

その功績は世界でも評価され、ドイツにある「タバコ・コレギウム(タバコ学会)」から“世界中に友好の輪を広げた人”として、アジアで唯一、「パイプの騎士」の称号を与えられています。

さらに柘さん、実は名うての“しゃれ者”。和装のときには素材はもちろん、帯幅から着丈、提げものにまでこだわり抜きます。夜の遊び方もスマートかつチャーミングで、含蓄のある言葉の端々に色気と教養が漂います。

そんな柘さんと話していると、「粋か、野暮か」という言葉には、どうやら独自のモノサシがあるようです。柘流の「粋」とは何か、何をしたら「野暮」となるのか、伝授していただきましょう。

(写真:トヨダリョウ 以下同)

「日本人としての自分の主体性」

――素敵なお召し物ですね。外出されるときはいつも着物ですか。

:ほとんどそうですね。私が子どもの頃、この辺には芸人や職人、またはその筋の人なんかがたくさん住んでいて、その人らはほとんどが着物を着ていました。うちは代々職人だから、親父たちも着物でね、私は子どもの頃からそういう姿に憧れてたんだ。新内(※)のお師匠さんの着物の着こなしがまたカッコよかった。でもそうこうするうちにみんな死んじゃって、そういうのを知ってるのは私くらいになってしまったね。

※新内(しんない)とは、 主に花街で唄われる新内節のこと。元は浄瑠璃の一流派で、哀調のある三味線の節に乗せて遊女の悲しい人生などが唄い上げられる。

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