鈴木雅之「今の自分が最高」断言する自信の根源 「普遍的なラヴソング」への変わらぬこだわり

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社会や流行が変化しても普遍的なものを歌いたい。それは「ラヴソング」

(写真:内田裕介)

──やがて1990年代に入ると、「恋人」を筆頭にヒット曲を連発。またそのダンディーな雰囲気も相まって、「キング・オブ・ラヴソング」として、日本の音楽シーンに絶大な存在感を発するように。

鈴木:どんなに社会や流行が変化しようとも、普遍的なものを歌いたいと思っていて、それは「ラヴソング」だと思いました。だからソロで活動をスタートさせた当初から、ずっと「ラヴソング」を歌い続けています。アレンジに関しては時代によって変化していますが、本質的なその部分はどの楽曲にもちりばめられているのかなって。「ラヴソング」は、自分にとっては譲れない要素です。

──どのラヴソングも「都会」を行き交う人々の感情や情景を丁寧に伝えていると思いました。

鈴木:1989年に発表した小田和正さんの提供曲「別れの街」を制作したことが大きかったですね。そのとき、小田さんに「街」と「町」の違いを教えていただいたんです。「街」は高層ビル群に囲まれた都会を示すもので、「町」は地元や故郷などシンプルな風景が広がる環境だと。都会に集まる人々はそれぞれの「町」を背負って「街」に集まって、いろんなドラマを繰り広げている。「街」で起こった人の出会いと別れを抽出させた楽曲が、「別れの街」なんだと。

それ以降、作る楽曲はドラマを意識するようになりました。また同時期には、山下達郎さんともセッションさせていただく機会があって、達郎さんからは音の作り方というか。人間のエモーショナルをどのように音に反映させたらよいかを学ぶことができました。

──また変わらないと言えば、1980年代から続く甘美でソウルフルな歌声、そしてルックスです。キープするための秘訣はなんですか?

鈴木:もちろん、トレーニングをするなど、カラダや喉のケアや管理をすることも大切なのですが、いちばんの要因は若い世代と対等な立場で行動することなのではないのかって思います。僕は周囲から「リーダー」と呼ばれることが多いんですけど、それは先頭に立っていながらもお互いを刺激し合い、一緒に新しいものを築き上げていくイメージ。自分は前にいてほかの人を走らせる印象の「ボス」とは異なる気持ちでいるから、若くいられ続けるのかなって。

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