「若者の邪魔」をしてはいけない人口減少社会 年長者は「仕方ねぇなぁ」と待ち続けるしかない
そのような場所のことを、ぼくは「アジール」と呼んでいます。1時間いくらとか、この場所を利用するために算出される成果を概算しろとか言われない場所。現代のアジールは出たり入ったり、行ったり来たりができる。そんなアジールを維持するためには、嫌だったらすぐに出ていってしまう寅さんのような人間の存在が不可欠です。寅さん的人物は、新自由主義的ないわゆるノマドワーカーとは違います。困っている人がいると「コスト度外視」でつい助けてしまうからです。つまり寅さんは、2つの原理を行ったり来たりして自分だけハッピーという人間ではなく、ある種の格差是正というか、「袖振り合うも他生の縁」を直感できる人でもあります。『手づくりのアジール』でも、ぼくはこんな風に書いています。
「仕方ねぇなぁ」と待ち続けること
「コスト度外視」の寅さんのような人間が1人でも多く生きられること。ぼくは現代におけるいちばんの喫緊の課題がこれだと思っています。そのために重要なのが教育です。
しかしこの教育は学校とか塾とか、そういう既存の社会システムにおいて「教える」ものというものではありません(その部分ももちろんあります)。短期的に見れば常識から外れていたり、いい結果を生まないと思われても、その子の存在を認め、信じて待つことです。信じて待つとは、社会的に成功かどうかではなく、本人にとっての成功が見つかるまで大人が失敗のケツをふくということです。
ぜひ人口増加社会を生きた大人であるという自覚がある方こそ、とらやのおいちゃんのように「バカだねぇ」と言いながら、いつ帰ってくるともわからない寅さんを待ち続ける。寅さんのせいでトラブルがあって、その当事者は出ていってしまっても「仕方ねぇなぁ」といいながら、いつもどおり団子を売り続ける。これが年長者のやるべきことだと思っています。
少なくともぼくはこの過渡期を生きる人間として、そのように生きていきたいと思っています。
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