「若者の邪魔」をしてはいけない人口減少社会 年長者は「仕方ねぇなぁ」と待ち続けるしかない

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若者の邪魔をしない

ここまでこの社会をどう生きるかという話をしてきましたが、むしろ社会的により大きな問題は、人口減少社会では生産年齢人口、つまり社会を担う世代の人口が減っていくことです。主に医療費や年金といった、人口増加社会を生きた人びとの社会保障費の増大と、本来はそれを支えねばならない生産人口が減少していることの不均衡状態に起因します。

この現実を踏まえると、人口減少社会における重要な要素として、生産年齢の人びとがより快適に、より健やかに働いてくれる環境をつくることが挙げられるのではないでしょうか。それは、ただでさえ少ない生産人口の「生産性」を下げないことを意味します。

さらに自分も含めて最も大きな勘違いをしていることは、今まで人口増加社会を生きてきた人びとが、人口減少社会においても今までの生活を続けられると思っていることです。言ってしまえば、これから社会の中核をなしていく若者は人口増加社会を知らない。だから放っておいても自然と人口減少社会にアジャストせざるをえない。だからこそ、ぼくたちのような人口増加社会に生まれた人間が広井さんの『人口減少社会のデザイン』を読まねばならない理由は、「若者の邪魔をしないため」なのです。

例えば、若者が「やってみたい」と言ったら、何も言わず「いいね!」ということ。そしてその失敗も含めて大人たちが責任をとること。そうすれば自然と「人口減少社会のデザイン」を描いてくれます。ぼくは大人たちが人口減少社会をデザインするのだと考えると、本質を見誤ると思っています。そうではなく、今後こういうデザインで社会構想されていくので邪魔しないようにしよう、という共通認識を持つことが必要なのです。広井さんは今後の社会のイメージをこのように述べています。

したがって今後の展望としては、「一層の少極集中」に向かうか、「多極集中」に向かうかの分岐点に私たちは立っているという見方が可能と思われる。ここで「多極集中」とは、私が以前から提起している、これからの日本の地域構造に関するコンセプトである。すなわちそれは、「一極集中」でも、その対概念としての「多極分散」のいずれとも異なる都市・地域のあり方であり、国土あるいは地域の「極」となる都市やまち・むらは多く存在するが、しかしそうした極となる場所は、本章の中で“歩いて楽しめる街”について述べてきたイメージに示されるように、できる限り「集約的」で歩行者中心の「コミュニティー空間」であることを重視した姿になっているというものである。(122頁)

広井さんは、多極集中的な人口減少社会は「歩いて楽しめる街」が中心になると言います。つまり何か新しい買い物をしたいとか、高性能のマシンを手に入れたいとか、「買い物によって手に入れられるもの」が中心なわけではありません。そうではなく、人口社会の価値観から見るとまったく意味不明なことでも、「あ、ここなら好きにさせてくれる」そんな人間関係、経験ができる時間や場所が必要なのです。そしてそれは人間が意図的に建設できるものではなく、風通しさえよくしておけば、時間はかかるかもしれませんが、おのずと生成されるはずです。

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