不登校になったわが子に「父親が言いがちな失言」 口から出てしまう「社会で通用するのか」

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――それでも不登校を受けいれたのには、きっかけがあったのでしょうか。

不登校をしてからまもなくの出来事でした。先行きの見えない息子に焦りを感じた僕は、「このままだと社会に出て生きていけないぞ」と言い放ったんです。それに対して息子はうつろな目をして、僕にこう言いました。

「僕はなぜ生きているの」、「生きていて意味はあるの」、と。これにはショックを受けました。息子のためを思って学校へ行かせようとしていたことが、結果として、生きる意味を見失わせるほど追い詰めていたのだ、と。今、目の前にいる息子を全否定していたことに、そのとき僕は初めて気がついたんです。

市川明さんとの取材のようす

わが家を安心できる場に

「これはまずいことになった」と思い、早急に妻と話し合いを行ないました。そのなかで導き出した答えは、大切なのは「息子自身が安心して自分の人生を歩めること」。そして、そのために親ができることは、「わが家を安心できる場所にする」という結論でした。それからは息子が心も身体も休めてすごせるよう、とにかく今の状況を受けいれることにしました。当時は部屋にこもってパソコンやゲームに熱中していましたし、昼夜逆転することもザラにありました。でも、あえて制限や縛りはつくらず、本人を信頼して自由に任せることにしたんです。

――その後は?

一方で居場所や進路先など安心材料は探しておきたい、という親心はどうしてもあったので、情報収集は継続していました。そのなかで見つけたのが、近所のフリースクールでした。当時から息子はパソコンに強い関心を持っていたのですが、そこのスタッフのなかにはパソコンに詳しい方がいらっしゃったんですね。試しに妻が聞いてみたら「そこだったらいいよ」と返事が返ってきたので通うことになりました。もしかしたら息子に空気を読ませて無理させたかな、とも思うのですが、さいわい、相性はよかったようです。

「学校行かない」みずから宣言

フリースクールでは息子のやりたいことに合わせて、自作パソコンづくりを提案してくれました。自分の好きなことを受けいれてくれたのが、本人もうれしかったのでしょう。がぜんやる気が出たようで、スタッフの協力を得ながら、部品の調達から組み立てまで、すべてやり通しました。この出来事が息子にとっては自己肯定につながったのだと思います。

中学3年生に上がったころ、先生や友人からの働きかけもあったのですが、みずから「行かない」と宣言しました。代わりに自分なりに将来のことは考えたようで、「パソコンを使う仕事に携わりたいから高校へ進学する」と言ってきたんです。これは腹を括っているな、と思いました。すでに不登校でも通える進路先はこちらも用意してはいたので、いくつか見学した末、通信制高校に入学しました。

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