「12人の養子を迎えた女性」の息子が語る母の教え 理想郷作ったジョセフィン・ベーカーの生き様

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その後、ベーカーはアメリカ人の盟友であり、元女優のモナコ公妃、グレース・ケリーに頼ることができ、彼女の「虹の一族」全員と共にモナコに移り住むように申し出を受けました。ベーカーの遺体はパンテオンに祀られた後も、モナコに埋葬されています。子どもたちが皆、彼女の遺体をモナコに残すことを決めたのです。

ベーカーがレジスタンス運動や、アメリカの黒人公民権運動で活躍したことは、彼女がパンテオンに祀られるまであまり広く知られていませんでした。が、それ以前から彼女は自らの家庭生活を広く公開していました。そうすることで、自分の普遍主義的な理想を知ってもらい、彼女の「Village de la fraternité」(友愛の村)を持続可能なものとしようと考えたのです。

1950年代の「『レインボー・トライブ(虹の一族)』活動は、間もなく発展した国際養子縁組の一般化に貢献した」と、ジョセフィンと国際養子縁組について執筆したアンジェ大学の歴史学教授、イヴ・デネシェルは指摘します。

実際、1960年代には、外国から養子を取る国際的な養子縁組が増加。ある時は戦争や、経済開発に関連して、またある時は、捨てられた子どもを救うために。1970年代にはインドやアジア(特に韓国、ベトナム)、1980年代には主に南米、1990年代にはロシアや東欧の子どもたちが国際養子縁組で家族を得ました。

フランスで養子縁組を結ぶには

今もフランスでは、自ら子どもを持つことが困難な夫婦が、その解決策の1つとして養子縁組を選んでいます。ビジネスマンのフランソワ(58歳)は、医師のキャロルと結婚し、ロシア人の男の子を養子にすることに決めました。10年に及ぶ書類事務、困難、旅を経て、3歳の子どもを迎えに行きました。彼は現在15歳です。

研究者のナタリー(50歳)と、ルーマニア出身のコンピュータ技師の夫は、13歳になるステファンを養子に迎えることを決めました。ルーマニア出身の少年を選んだのは、その父親となる夫の国籍が決め手でした。夫婦は10年間の奮闘の中で、何度か子どもに会いに、ルーマニアを訪れました。

教師のレベッカ(40歳)は、コロンビアから2人の姉妹(8歳)を迎えます。レベッカによると、最近の傾向として、姉妹や兄弟を一緒に養子に出すことが多くなっているといいます。

フランスでは、養子縁組は28歳以上の独身者、または結婚して2年以上の夫婦に認められています(養子縁組者は、養子よりも15歳以上年長でなければいけません)。が、そのプロセスは当然ですが、容易なものではありません。養子縁組を望む母親や父親は、自分が子どもを迎えるのに最適な人物、あるいは家族であることを示すために、多くのことを証明しなければならないのです(職業、経済的背景、身体的・心理的な健康状態など)。

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