「当時のママンには"オーラ"がありました。なんせ彼女は世界的に有名でしたから」――。パリに住んで40年、日本からフランスへ渡ったアキオ・ブイヨン(69)は偉大なる母親をこう振り返ります。神奈川・大磯の孤児院で出会った"母親"の名は、世界的なダンサーであり、パフォーマーだったジョセフィン・ベーカーです。
昨年11月30日、日本人にも有名なパリの観光名所、パンテオンにベーカーは、黒人女性として初めて、祀られました。アメリカ出身の彼女は、偉大なパフォーマーだっただけでなく、第2次世界大戦中にはレジスタンスとして活動、そして生涯にわたって人種差別に立ち向かいました。
彼女はフランス人にとって、自由と寛大さと友愛のアイコンです。式典でマクロン大統領もこうスピーチを締めくくっています。「私にとってのフランス、それはジョセフィンです」("Ma France, c’est Joséphine")。
世界から12人の養子を迎えた
ベーカーには、素晴らしいパフォーマーだけでなく、もう1つの顔があります。それは、「レインボー・トライブ(虹の一族)」と称して、世界の国々からなんと12人の養子を迎え入れ、人種や文化が違っても共存できることを証明する環境を作り上げようとした「母親」の顔です。
と言っても、もともとそのような計画があったわけではありません。1925年にアメリカからパリに渡ってきたベーカーは、黒人初の女性ダンサーとして有名になりました。彼女は、当時アメリカで行われていた黒人に対する人種差別や隔離を決して受け入れず、フランス国籍を取得したことを大変誇りに思っていました。
レジスタンス運動では、楽曲の一節を通して隠しメッセージを伝える役割を果たしました。兵士たちのために演奏し、歌い、パフォーマンスを続けたのですが、健康上の理由から、自ら子どもを身ごもることができないことを悟りました。
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