“超”能力主義が日本社会を覆う

『もじれる社会』を書いた本田由紀氏に聞く

──今やメリトクラシー以上に、ハイパーメリトクラシーが社会を覆っていませんか。

もともとメリトクラシーは仕事、家族、教育という社会領域を貫くような概念だ。そして、この三つの領域を串刺しにして成り立っていたのが日本社会の「戦後日本型循環モデル」だった。

──戦後日本型循環モデル?

「もじれる社会」ちくま新書
820円+税 253ページ

日本の高度成長期に成立して、その後、安定成長期、オイルショックからバブル経済の崩壊までに日本社会に広がりかつ深まり、そのうえ今や破綻しつつある社会モデルのことだ。それは仕事、家族、教育における資源のアウトプットを次の領域につぎ込む一方向的な循環関係で回ってきた。たとえば仕事は長期安定雇用を通じて年功賃金を家族に提供し、家族は教育費と教育意欲を教育にインプットし、また教育は新卒一括採用によって新規労働力を仕事にインプットしてきた。

ところが、それも安定成長期に成熟を迎え、90年代以降、ハイパーメリトクラシーの興隆と歩調を合わせるように一方向的な循環が破綻に転じる。最大の変化は、これまで3領域の間に太く堅牢に成立してきたアウトプット、インプットが堅牢な部分とぼろぼろの部分に分かれ、そして、ぼろぼろの部分からはこぼれ落ちる人が出てきた。

ジョブ型の発想が必要

──仕事の領域で言えばどうなりますか。

当初の循環モデルでは日本の正社員はメンバーシップ型の働き方が想定されている。それぞれの業務(ジョブ)に関する契約性は希薄であり、メンバーだから配置された部署でとやかく言わずに何でもやる。配置権は企業に握られていて、行った先で素早く適応するのがメンバーシップ型の働き方だ。柔軟でどこに行っても全人的な力を発揮して適応する。序列化の太い縦軸が立ち上がってしまっている。

ところが今はグローバル化もあり、同時に縦軸を横に倒し切り分けて、その格子の中に配置し、それぞれの中で教育しながら力を見定め、それに応じた処遇をしていくことにもなる。逆のメンバーシップ型なので、その中に部分的にジョブ型の領域を作っていければ、メンバーシップ型の中で排除されてしまった人たちも生きていけるルートができる。メンバーシップ型が消えてなくなることは日本の場合はなかなか難しいが、もう一つの足場としてジョブ型の発想が大いに必要だ。

──性的役割分業も日本では根強いですね。

女性の役割が一義的に家族を守ることに押し込められてはならないのは言うまでもない。すべての人が伸び伸びと可能性を追求しうる社会という理念を置いて、女性の前に立ちはだかっているバリアを取り払うことは、これからの社会モデル作りには不可欠な要素だ。

これからの循環モデルはアウトプット、インプットを双方向でバランスを取りながら模索していくことになる。それだけ社会システム間の関係をもっと丁寧に考えていく必要がある。

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