このコメントにおける「必然性」を、私は「普通性」と捉える。川栄李奈が出てくると、画面に「普通の風」が吹く。どこにでもいる普通の女の子が紛れ込んだ感じがするのだ。そして画面の中が、われわれの日常と地続きの空間となり、そこに彼女が、ぴったり溶け込んでいる印象を受ける。つまり川栄は「他者とのセリフのやりとり」の中で「普通性」=日常的なリアリティを発散するのである。
サイト「女性自身」2月18日の記事で川栄李奈は、「いままで朝ドラオーディションに5回落ちた彼女は“最多落選ヒロイン”」だと報じられていた。「最多落選」からのし上がってきて、それでも方向性を変えず、「普通の風」を吹かせ続けることを期待したい。
「異常な期待感」を生み出す要素
そして最後に、初回からの継続視聴者に限っては、最大の成功要因と言えるであろう、冒頭で触れた「異常な朝ドラ」への「異常な期待感」について述べたい。
それは「この朝ドラ、最終的に伏線をどう回収するんだろう?」という、これまでの朝ドラでは、あまり抱くことのなかった期待感だ。もちろん、その期待感は「回収できないかも」という不安感と背中合わせなのだが。
先に書いたように、「安子編」と「るい編」の間の段差は激しかった。とりわけ、幼いるいによる「I Hate You」という言葉など、言葉を選ばず言えば、少々無理やりな印象を受けた。
結果として「アメリカに行った安子」という、強烈な伏線が残った。さらに、その伏線は「るい編」「ひなた編」と進んでも、回収の糸口がまったく見えてきていない。
加えて、錠一郎のトランペットへの情熱も宙ぶらりんのまま進んでいるし(京都の川べりで楽譜を書くシーンが一瞬挿入されたが)、そもそも、タイトルのもととなったラジオ英語講座のエピソードも最近はごぶさたなのだ。
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