鈴井貴之「9割は失敗」が『水どう』を生んだ必然 北海道だったから「一か八か」が可能になった
── また、映画監督としても4本の作品を撮っていますが、それは求められていく中で映画へも関心が向いていったということですか?
鈴井:いや、もともと僕は小学5年生のときから8ミリ映画を撮っていて、中学生のときには自主制作みたいな遊びもしていて、ずっと映画監督になりたかったんです。ただ、当時の北海道ではそんなこと夢見ていても、なかなか現実的じゃないので、大学進学で東京に出なきゃと思っていたんですけど、ことごとく東京の大学にフラれまして(笑)。
札幌に残って「あぁ、どうしようかな」と思っていたときに、もともと映像を作っていた幼なじみ経由で「舞台もできるんじゃないの?」と演劇に誘われたんです。原点としては、映画を撮ることは幼少のころから抱いていた夢だったんです。
10やったら9は失敗。人生を振り返ると9割は失敗ばっかり
── 演劇も映画も、作品を作るうえでの発想はつながっていますか?
鈴井:そうですね。共通項として「こういうものが作りたい」と思ったときの視点は、ちょっとずらすというか、すき間産業的なところを目指すというか(笑)。王道じゃない、ある意味邪道なものを探す節はあるかな、と思います。幼い頃からあまのじゃくで、いろんな違った角度からものごとを見るイヤな子どもだったので(笑)、それが今日も続いてるんでしょうね。だから、10やったら9は失敗していますね。自分がいくらおもしろくても、しょせんは邪道だよねってことで、人生を振り返ると9割は失敗ばっかりだなって。
── ただ、そのうちの1割は誰もやっていないことで大成功するということですよね?
鈴井:みなさんに喜んでもらえたりすると、「まだ頑張ってみれば」と言ってもらえているような気がしますね。とはいえ、9割は失敗してるんですけど(笑)。実はそれができるのも、北海道だからなんですよ。東京は代わりの人がいっぱいいるし、チャンスも巡ってこないから、「一か八か」ができないと思うんです。だから、本当は120点のものをやりたいけど、いろんなところから抑制されて70点のものをキープする、みたいな。
その点、北海道は前例も少ないから、120点を目指して失敗したら失敗したで、みんなで笑って「ダメだったな」って。でも、「もう1回やってみよう」ということを繰り返せるんです。その中で突破的なものが出てくる。そのいい例が『水曜どうでしょう』であり、大泉洋だと思います。
あれを東京の番組でやったら、絶対プロダクションからイエスが出ないですよ。だって、「うちのタレント、何月何日はどこにいますか?」「どうやったら連絡が取れますか?」と言われても、「わかりません」としか言えないので(笑)。「そんな責任取れないようなところに出すわけないだろ」ってなりますよね。それが成立できたのも北海道だからなんです。