鈴井貴之「9割は失敗」が『水どう』を生んだ必然 北海道だったから「一か八か」が可能になった

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本記事はLEON.JPの提供記事です

既成概念に囚われず、その行動によって時代を切り拓いてきた「カッコいい大人」たちを紹介する今回の特集。ご登場いただくのは、北海道テレビ発の伝説の人気番組『水曜どうでしょう』を企画した鈴井貴之さんです。

その名前を聞いてわからない方も、番組に登場して若かりし大泉洋さんと過酷な旅をしていたイケメンの“ミスター”といえば「あの人!」とピンとくるでしょう。

「低予算、低姿勢、低カロリー」の三大要素をスローガンに掲げて

── 『水曜どうでしょう』は1996年のスタートですが、今でも昔の番組が地方局で繰り返し放送されている超人気番組です。全国的に熱狂的なファンも多いと聞きますが、鈴井さんは企画の立ち上げから番組に関わっていたそうですね。

鈴井:そもそも『水曜どうでしょう』が始まる前に、北海道テレビで深夜の帯番組をやっていたんです。それに大泉洋が出演していて、僕も制作に関わっていたんですが、局の方針で打ち切りが決まってしまいました。当時の制作陣が「1曜日だけでも番組を残してくれ」と懇願した結果、水曜日の深夜帯だけ自社制作の番組ができるようになったんです。

ただ、当初は半年間だけで終わると聞いていたので、であれば、もう「好き勝手やろうぜ」みたいな(笑)。ある意味期待されてないところからのあまのじゃくな考えで、地方ローカルの番組は基本的にその土地に根差した内容をやるのが主流だけど、あえて「北海道じゃないところでロケする番組を作ろうじゃないか」というところからスタートしたんです。

── では、当時はこんなに全国区の人気番組になるとは想像もしてなかったんですね?

鈴井:もちろんです。それが番組販売という形で、いろんな地方の放送局が買ってくださって。早かったのは、神奈川と宮城と静岡ですね。それでどんどん広まっていった感じです。逆に東京では放送されなかった。だから地方のかたほどファンが多い(笑)。

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