鈴井貴之「9割は失敗」が『水どう』を生んだ必然 北海道だったから「一か八か」が可能になった
── 大泉さんの生のリアクションのおもしろさは、最初から演出に生かそうと思われていたんですか?
鈴井:それはやっていくうちに見つけた感じでしょうね。大泉くんのあのぼやきみたいなキャラクターがおもしろくなってくるのは、だんだんと。あの番組はいろいろ手探りでスタートしたので、「今回はこういう企画で、旅先の目的はこうで、これくらいの撮れ高で、こういう番組になればいいな」みたいな話はいっさいしてないですから。
行ける場所に行くしかない。アメリカだったら「横断する」しかない(笑)。だから、行き当たりばったりで。途中でヘンなコスプレをし始めたのも、たまたまカジノで大泉くんが負けて、その罰ゲームで立ち寄ったところに変な衣装を売っている洋品店があったから、「これ大泉に着せてやろう」って。そうやって流れに身をまかせながら形成していくタイプの番組でしたね。
番組ではすべてをさらけ出さざるをえない
── 鈴井さんは企画で参加しながら、出演もしているというおもしろい立ち位置でしたね?
鈴井:最初は企画書を何本も書きましたけど、実際にロケに行っているときは一出演者として覚悟して臨みました。ガチでやるからには、自分の本音もさらけ出して、ぶつかったときはぶつかって、きれいな結末は求めないっていう。これが成り行きでこうなってしまったっていうところも、本当にオープンにしていこうと。
またカメラの嬉野(雅道)さんっていうのが本当にしつこいんですよ(笑)。起きてる間、四六時中まわしてるから、オンオフを作ったら疲れちゃうので。もうすべてをさらけ出さざるをえないって感じですよね。今も、『水曜どうでしょう』を何回も繰り返し見てくださる人がいるのは、それだけ本当にドキュメンタリーだったからだと思います。