鈴井貴之「9割は失敗」が『水どう』を生んだ必然 北海道だったから「一か八か」が可能になった
出演者にとっては「ガチ」のドキュメンタリー
── 『水曜どうでしょう』の放送がスタートした1996年は、日本テレビの『進め!電波少年』でも猿岩石がヒッチハイクの旅をしていて、それぞれの番組が、ハンドカメラ1つ持って旅をするスタイルの先駆けだったように思うのですが。
鈴井:それは大手さんとは全然違いますよ。日テレさんは予算があって、ユーラシア大陸とか横断できたんでしょうけど、われわれは本当に予算がないところから始めているので。1本単価だと番組が作れないから、10本分の予算で遠いところに行って10本分撮ろうという苦肉の策ですね。
最初の企画なんて本当に申し訳ないけど、アーティスト・インタビューをブッキングして、東京までの飛行機代をレコード会社さんに出していただいたり。観光協会で宣伝してほしい国はないかなってアンテナを張って探しまくったり。
とにかく僕らは、「低予算、低姿勢、低カロリー」の三大要素をスローガンに掲げてましたから。だから、カテゴリーとしてはバラエティー番組かもしれませんが、出演しているわれわれにとってはドキュメンタリーなんです。いろいろ演出の手が加わっている番組は少なくないけど、「うちはガチでいこう」と(笑)。
── ガチというのは、すべてが何も決めずにフリーということですか?
鈴井:海外に行ったときも行きの飛行機で旅先のレンタカーを借りて、あとは○月○日にどこから乗るっていう帰りのフライトを予約するだけで、決まってるのはその2つしかない。その間は、どこに泊まるかも決まっていません。ヨーロッパに行ったときは「ここをキャンプ地とする」って、ドイツで野宿したこともありますし(笑)。
それは本当にそうしたいわけじゃなくて、「そうなってしまった」。そこがたぶん見る人の共感を呼んだし、喜んでくださったのかなって。「この人たち、本当にやってるわ、そんなこと」って。やっぱり真実って伝わるんだと思うんです。しかも、今こそ大泉洋はたくさんの方に知っていただきましたけど、当初は「誰? コイツら」みたいな感じですからね。