恨み・怒りは「持つだけ無駄」と言える納得の理由 不満をぶちまけるのは「一種の快感」だが…

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事故の数分後、大破した車の中で、彼の意識は奇妙に明瞭だった。その瞬間、悲劇のど真ん中で、彼は2種類の未来をまざまざと想像した。

ひとつは、その瞬間に生まれた怒りと苦しみを背負いつづける未来だ。その未来を選べば、一生のあいだ、ネガティブな感情にさいなまれるだろう。苦しみは生き残った息子たちにも伝わり、心に癒えない傷を残すことだろう。

もうひとつは、そうした重荷から解き放たれた未来だ。生き残った息子たちの心身の傷が治ったとき、彼らに向き合い、そばにいてやれる父親になる未来だ。そこにあるのは後悔や恨みではなく、意味と目的に満ちた人生だ。

この道を選びとるのは簡単ではない。それでも、選びとる価値のある未来だと思えた。

その瞬間に、彼は許すことを決意した。

怒りや苦しみがなかったわけではない。だが、その苦しみに流されて、加害者への恨みを抱えつづけるべきではないと思った。

エネルギーを過去に向けるのではなく、未来のために、手放すことを選んだのだ。

怒りを持ちつづけることにメリットはない

人に傷つけられて、怒りを抱えつづけた経験はないだろうか。心の貴重なエネルギーを、恨みや不満に費やしてしまったことはないだろうか。その傷はどれだけの期間つづいただろう。数週間、数カ月、数年、それとも数十年?

ウィリアムズの話は、別の可能性を示してくれる。

彼のような悲劇の中でさえ、怒りや恨みを手放すことは可能なのだ。本当に大切なもののために、困難な道を選びとることができるのだ。

そのために、ちょっと変わった質問をしてみよう。

「この怒りを、なんの仕事のために雇用したのか?」

これはハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授の考え方だ。マネジメント論の権威であるクリステンセンによれば、人は商品やサービスをただ購入するのではない。特定のジョブを達成するために「雇用」しているのだ。

感情についても、同様に考えることができる。

怒りの感情を雇用する目的は、たとえば満たされないニーズを満たすためだ。すっきりしない気持ちを、怒りが解決してくれるのではないかと期待する。

ところが、業績を評価してみると、怒りはあまりいい仕事をしていないことに気づく。リソースを食うばかりで、投資に見合った効果が得られないのだ。その場合、怒りを解雇したほうがいい。

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