大室:あとは高校のときにバブルが崩壊して、「これからは手に職だ」「専門性が生かされる」とか言われるようになった。専門職といったら高校生の頭では、医者か弁護士か板前さんぐらいしか思いつかなくて。
僕の父の友人に司法試験に十何回と落ちている人がいて、僕はその後ろ姿を見ていたので、弁護士の線はすぐ消えた。会計士という道も考えたけれど、人と会っているほうが楽しい。それで折衷案で医学部に行ったんです。
塩野:折衷案で医学部。普通そう思わないと思いますけど。
大室:でもよく考えてみたら、外科医は手先の器用さや経験を求められるし、顕微鏡でひたすら細胞を見ているだけの医者もいるわけで、医者もけっこう職人的なところがありますよね。一方で法医学みたいに社会性が高い分野もある。精神科は今でこそ薬による治療が主流ですけど、僕が学生だった頃はフロイト、ユング、ラカンが説いたような精神分析学も一部残っていたので、文学的な要素もあった。
塩野:精神医学の中でもMRIを使った脳画像検査により脳機能障害を見つけるような分野も進んでいますが、そっちじゃない方ですね。
大室:そう、僕はちょっと文科系男子的なところがあったので、精神科も考えました。それでちょうど僕が大学を卒業するころから、企業の中でもメンタル不調者をケアする必要性が高まってきた。産業医になれば、精神科的なこともやりつつ、昔興味があった会社勤めもできる。
塩野:全部条件を満たしてる。
大室:やっぱり産業医大には産業医になるための強力なカリキュラムが整っているし、非常にアドバンテージがあるんですよ。今の日本で産業医を専門にしてる人の大半が産業医科大学出身だから、最大派閥なんですよね。それで産業医になりました。
サブカル三昧の大学時代
塩野:さっき大学受験の話が出ましたが、大室先生は浪人時代、下北沢でサブカル三昧だったという噂が。
大室:そうなんです。はっきり言って今も基本的にサブカルも含め時代を担っている文化全般を観察することが好きですね。当時、河合塾という予備校の寮が下北沢の近くにありまして、親が受験事情とか東京の地理をよく知らないのをいいことに、「ここじゃないと医学部に受からないらしいよ」と言って無理やりお金を出してもらってその寮に入り、毎日中古レコードとか買ってましたね。
塩野:毎日。浪人生なのに(笑)。
大室:なんかこう、医学部コースとか東大コースに通ってる浪人生って、それだけでプライド高いんですよ。まだ何者でもないのに、「○○大学なら偏差値低いから受かってたぜ」みたいな、よくわからないプライドが渦巻いてる。それで僕は安い漫画の古本とか買って、当時シモキタ(下北沢)にあった「ジャズ喫茶マサコ」っていう店で、現実逃避のようにずっと読んでた(笑)。まあ今もいろいろとこじらせてるんですが……。
塩野:でもちゃんと医学部に受かったんですね。
大室:多分、このままじゃまずいっていう危機意識が働いたんでしょうね。
塩野:これ以上こんな生活を続けてると、さらにこじらせるなと。
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