そんな誤訳があったとは露も知らないイギリスは、開戦の直前まで、戦争にまでなるとは想定していなかった。直接、掛け合えば、あっさり要求を呑むだろうと踏んでいたのだ。
艦隊で鹿児島に向かうイギリス公使館員たちの様子からも、戦争に向かう勇ましさはまったくない。横浜からの船旅を楽しみながら、船上では、おいしいワインを開けて、食事会で舌鼓を打った。
鹿児島が見えてくると、その自然の美しさに感動さえしている。船員のなかには、家族にこんな手紙を書いた者もいたくらいだ。
「もし、友達がすべて一堂に会して、この土地の壮観さと、新奇さをかき立ててくれる楽しみを知ったならば、また、それを心ゆくまで味わうことができたら、これ以上ののぞみはありません」
完全に観光気分である。にもかかわらず、薩摩藩は意外にも強硬な姿勢を見せる。賠償金の支払いを引き延ばし、犯人の引き渡しさえも消極的だ。どうにか相手にきちんと考えさせようと、イギリス艦隊が船を逋脱したところ、薩摩藩がいきなり砲撃に踏み切った。驚いたのは、イギリス側のほうであった。
「完敗」を避けるために守備に徹した
このころ、すでに久光は京から戻ってきていた。京での話し合いは不発に終わり、将軍の家茂は尊王攘夷が吹き荒れる京へ上洛することになった。
さらに公卿の姉小路公知が暗殺されるという事件が起きる。殺されたのは、姉小路が尊攘派から公武合体派にちょうど移ろうとしていた時期だったうえに、その犯人の1人として疑われたのが「幕末四大人斬り」の1人として知られる、薩摩藩の田中新兵衛だった。新兵衛は自殺し、責任を問われた薩摩藩は皇居九門への出入りを禁じられてしまう。
完全に手詰まりだったが、この弱り目に祟り目のような薩英戦争が、結果的に局面を打開することになるとは、想像しなかっただろう。
大久保は、久光や藩主の忠義とともに本陣の千眼寺の本営で、作戦の指導にあたった。生まれて初めての実戦である。青二才と揶揄された出世頭の大久保がとった作戦、それは「完敗だけはしない」という守備作戦だった。大久保が徹頭徹尾、守備を貫いたことで、誰もが無謀と考えた薩英戦争において、薩摩藩は意外な健闘を見せることとなる。
(第12回につづく)
【参考文献】
大久保利通著『大久保利通文書』(マツノ書店)
勝田孫彌『大久保利通伝』(マツノ書店)
松本彦三郎『郷中教育の研究』(尚古集成館)
佐々木克監修『大久保利通』(講談社学術文庫)
佐々木克『大久保利通―明治維新と志の政治家 (日本史リブレット)』(山川出版社)
毛利敏彦『大久保利通―維新前夜の群像』(中央公論新社)
河合敦『大久保利通 西郷どんを屠った男』(徳間書店)
家近良樹『西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ』 (ミネルヴァ書房)
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
鹿児島県歴史資料センター黎明館 編『鹿児島県史料 玉里島津家史料』(鹿児島県)
安藤優一郎『島津久光の明治維新 西郷隆盛の“敵"であり続けた男の真実』(イースト・プレス)
萩原延壽『薩英戦争 遠い崖2 アーネスト・サトウ日記抄』 (朝日文庫)
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