武田真治は孤独な日々を言葉と筋トレで支えた 栄華を極めどん底を経た彼が楽しんでいる人生

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事務所から「もう売り時を過ぎた」と宣告され、死ぬことばかりを考えていた武田。絶望のさなかに思い立ったのは、ペンを握ってそこらじゅうの紙に「言葉」を書きつけることだった。自分を戒める、あるいは檄を飛ばすために。

「もっと安らぎながら進める。水のように」
「まず好きになることだ。すべて!」
「つじつま合わせをしながら前に進もうとしなくていい」
「今後一切、『もうダメだ』と思う必要はない」
「情熱が燃え尽きるまで戯れる」

「ずっと、言葉を発するのは格好悪いと思っていました。幼い頃の僕は泣き虫で、ギャーギャー言えば親や周りが動いてくれましたし、芸能界に入って注目されはじめると、自分の何気ない発言を大人たちが勝手に増幅してくれましたから。若者の代弁者、ティーンアイドルスターが発した“格言”として」

(撮影:菊岡 俊子)

そんな欺瞞に辟易していたからこそ、武田は「サックスを吹いて態度で示せれば、言葉などいらない」と決め込んだ。寡黙は美学だとすら思っていたという。

「だけど顎関節症になって、言葉をうまく発するのが難しくなった時に、ようやく気づいたんです。やっぱり人間には、自分を支えたり、自分を説明するための言葉が必要なんだと」

画用紙に太字のサインペンで、あるいは滞在先ホテルのメモ帳にボールペンで書きつけられた、鬼気迫る言葉たち。当時の追い込まれぶりが痛いほど伝わってくる。「自分の心を見失っていたときのメモ」と武田は言う。一時は部屋中の壁をこれらで埋め尽くし、自分を整えながらなんとか生き抜いていた。

「あの時は、僕の言葉を聞いてくれる人も、聞き出してくれる人もいなかった。だから書くしかなかったんです。書き留めておいたというより、書き殴った。書き捨てた」

今回上梓した著書のタイトル『上には上がいる。中には自分しかいない。』も、そんな「言葉」のひとつだ。

死んだ後のことは、死んでから考える

どん底の武田は一時期、札幌の実家に閉じこもり、唯一のレギュラー番組『めちゃイケ』収録の時だけ上京するという生活を送った。マイナス思考、低い自己評価、晴れない鬱。そんな不遇の時代をどう乗り切ったのか。

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