「たとえ朝廷から勅命が出たとしても、打ち出した幕政改革に幕府が応じなければどうするのだ。朝廷の面目は丸つぶれだ。多くの兵士を京にとどめたうえで、京都所司代を追放することになるが、そこまでの覚悟はあるのか?」
大久保、小松、中山はみな黙ってしまったようだ。「一言の返答もでき申さず」と西郷自身が振り返っている。
大久保からすれば、西郷を島から戻すことを第一に考えたのかもしれない。だが、実際に京で奔走した西郷からしてみれば、あまりにも詰めが甘い計画で、うまくいくとは思えなったようだ。
西郷の「ジゴロ」発言は、久光を面罵した言葉としてよく知られている。だが、そこには、あまりにずさんな計画を実行しようとする、大久保らへのいら立ちも、含まれていたのではないだろうか。
西郷の暴言によって、場が騒然としたことは言うまでもない。久光は怒りのあまりに我を失いそうになった、とも伝えられている。西郷の復帰を原動力に計画を遂行しようという、大久保の目論見は、台無しになったかのように見えた。
「ほんの一歩でもいいから前進」が大久保の真骨頂
それでも大久保は西郷を説得することを諦めなかった。「足が痛い」と指宿温泉に逃した西郷のもとに足を運び、久光の上洛計画に協力することを約束させている。
ほんの一歩でもいいから、前進する。その政治姿勢こそが、大久保の真骨頂であり、粘り腰ならば誰にも負けなかった。
もちろん、西郷へのいら立ちはあっただろう。だが、一筋縄ではいかない男だからこそ、閉塞的な状況を打破する突破力を持つ。切り替えの早い大久保のことだから、そんなふうに気持ちを立て直したのではないだろうか。
大久保は西郷に九州の情勢を探らせるため、下関に先発させる。そこで、久光が率いる本隊を待って合流するように、と申し合わせた。
ところが、西郷はまたもや大久保が予想すらしない行動に出る。なんと下関で久光を待つことなく、そのまま薩摩藩士の村田新八らとともに、京阪方面へと向かったのである。
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