大久保利通が青ざめた「西郷隆盛」衝撃暴言の内容 実は理詰めで考え、納得しないと動かぬ頑固者

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文久2(1862)年の正月、初めて京に上った大久保の事前工作は、ことごとく失敗に終わる。公家の近衛忠房からは上洛計画に難色を示されて、薩摩藩内や薩摩藩江戸屋敷からも反対の声が上がる始末だった。

もちろん、西郷のときとは状況がまるで異なる。西郷が擁する斉彬は藩主だったが、大久保が担ぐ弟の久光は「藩主の父」にすぎず、官位もない。つまりは、無位無官である。藩から一歩外に出たならば、影響力は皆無であり、大久保の京での下準備が不発に終わったのも、当然と言えば当然の結果である。

しかし、大久保はそんな言い訳を己にして、心を慰めるような男ではなかった。久光がいたからこそ、自分は今、京という舞台にいる。その久光を押し出すことができずにどうする……と自分を責めたことだろう。

こんなエピソードがある。久光に近づくことで、大久保が得た「小納戸頭取」というポストは、槍持ちを連れて登城することができた。だが、大久保はそんなアピールにはまったく関心がなく、人通りの少ない細い道をわざわざ選んで、登城していたという。大久保がこだわったのはポストに就くこと自体ではなく、ポストを得ることで行使できる「実行力」だった。

改めて西郷という男の実力を実感

そんな大久保だからこそ、京での挫折は苦い経験となったに違いない。かつて、同じ京の地で西郷は東奔西走して、存在感を発揮していたというのに……。改めて西郷という男の実力を、大久保は実感したことだろう。

だが、大久保は高い壁を前にしても、絶望しなかった。いや、正しく言えば、「自分の能力」には絶望したかもしれないが、「自分を取り巻く状況」には絶望しなかった。まもなく西郷が島から戻ってくる。この挫折は西郷の華々しい復帰にはむしろプラスになると、大久保は考えたのだ。

「やはり、上洛を成功させるには西郷の力が必要です」

自分にはできない――とまでは口にしなったが、実質的にはそう言っていた。

ちっぽけなプライドは捨てて、大局観を持って物事を前進させる。少なくとも西郷が相手ならば、このときの大久保はそうした態度がとれた。大久保の主張を前に「西郷の帰藩を許したのは正しかった」と、久光もこのときは思えたことだろう。

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