佐藤:開発主義論の根底にあるのは、一種の発展段階説です。最初のうちは権威主義体制のもと、政府主導で開発を進めるほうが効率的でよろしい。しかし、ある程度豊かになれば、人々は必ず政治的自由を求める。よって政治体制も、正当性を維持すべく、自由主義的なものに移行する。日本や韓国、台湾を見ろ、というわけです。
香港問題の本質も、これを踏まえるとわかりやすい。一国二制度はもともと、2047年までの50年限定でした。とはいえ当初、香港の人々は、半世紀もあれば中国のほうが民主化されると安心していたのではないか。向こうがこっちのようになるから大丈夫だと。
ところが中国は、政治的な自由を制限したまま経済大国の地位を確立する。すると一国二制度も、香港の自由がなくなる形で解消されるしかありません。不安や不満が高まったのも必然ですが、こうなると自由に執着する姿勢も生まれやすくなる。またもや、新自由主義が望ましく思えてくるのです。
柴山:実際、90年代には開発主義に対する懐疑的な見方が唱えられるようになっていました。国際政治経済学の分野では、アメリカのピーター・エヴァンスらが日本は開発主義ではないと主張していた。日本には非常に高度で中立的な官僚システムが存在し、それが業界団体とのつながりなどを通して社会に埋め込まれているというのが、エヴァンスの議論でした。
中野:日本型システムは官僚たちが意識的に設計したものではなく、歴史的な経緯によって偶然できたものだという見方ですね。
柴山:その通りです。試行錯誤を重ね、利害調整しているうちに、いつの間にか出来上がったシステムだということです。官僚主導というほど単純なものではなかった。ところが、エヴァンスの議論は日本ではほとんど無視されました。いまだに翻訳がありません。
中野:われわれが学生のときからそうですね。そういうエヴァンスのような研究を勉強しようと思って大学に入ったのに、全然勉強できず、独学するしかありませんでした。
柴山:おかげで、いまだに戦後日本の発展は官主導の開発主義の結果だと見られているわけです。この認識は非常に根強い。それがいまでも新自由主義的な改革を求める要因になっています。この認識を改めない限り、新自由主義を乗り越えることは難しいと思います。
疎外論に陥る学生たち
柴山:新自由主義が根強い理由をもう一つあげると、いろんな人が指摘していることですが、大学進学率も無視できないと思います。どの国も1980年代から急激に大学進学率があがっていき、新興エリートがたくさん誕生しました。しかし、彼らは思うように社会で活躍できたわけではありません。そこで、自分たちを阻む既得権益層がいると考え、既得権益を批判する新自由主義に吸い寄せられていったのだと思います。新興エリート層の自己不安や自己不満に、新自由主義的言説がうまくはまってしまったということです。