この流れに乗ったのが、朝日新聞や毎日新聞などの左派系の新聞です。彼らは国家の介入を厳しく批判し、どんどん新自由主義化していきました。本来なら左派こそ貧困層などへの利益分配を訴えなければならなかったはずなのですが、国家の介入を批判している以上、そうした議論ができなくなり、格差を放置することになってしまいました。
このように、右派も左派も新自由主義をきちんと批判する論理を持ち合わせていません。それゆえ、新自由主義が根強いのは当然なのです。
佐藤:おっしゃる通りです。戦後日本の右派、ないし保守は親米が基本線。アメリカは自由主義の総本山みたいな国ですから、いかんせん新自由主義に弱くなります。おまけに戦時体制になる前の日本は、格差が大きく、福祉の水準も低い新自由主義的な社会でした。したがって戦前の再評価をめざしても、やはり新自由主義肯定に行き着いてしまう。
逆に左派が新自由主義を批判できないのは、平和主義の影響です。第1回でも述べたとおり、戦後日本では「政府の行動を制約するのが民主主義」と見なす発想が強い。再び戦争をしでかさないように、というわけですが、するとどうしても小さな政府志向になる。戦争のときは、どんな政府も国債を発行して費用を調達しますからね。
現に1965年、佐藤栄作内閣が戦後初めて赤字国債を出したとき、野党第一党だった社会党は「赤字財政は戦争につながる」と言って反対しました。いわく、公債発行の原則禁止を定めた財政法第4条は、戦争準備を許さないという平和主義の縛りである。それをくつがえすとは何事か。この道はいつか来た道、赤字国債出すべからず!
左派の発想だと、積極財政、ないしインフレ(=経済の拡大)は戦争と結びつくんですよ。すると平和に結びつくのは緊縮財政とデフレ。私の本のタイトルではありませんが、『平和主義は貧困への道』です。政府が需要を創出して経済を引っ張るとか、インフラを整備するなどといったことは、彼らの眼中にないんですね。
そのくせ左派は、弱者救済や福祉充実にはこだわる。つまり福祉国家志向でした。しかし「福祉国家志向の小さな政府」など存在しえない。だから「それは矛盾だ、小さな政府がいいのなら社会保障はあきらめろ」と言われると、反論できなくなってしまう。こうして保守系の新自由主義者にたいし、塩を送る次第です。
世界中を席捲した戦時体制論
柴山:野口悠紀雄の『1940年体制』が出版されたのは、私が大学生だった1995年のことです。当時のことはよく覚えていますが、あの本が出たころから日本型経済システムに対する評価が大きく変化していきました。
もともと1980年代までは日本型システムは高く評価されていました。日本経済はアメリカのような個人主義で無秩序な資本主義ではなく、チームワークを重視し、政府と民間がうまく協調して最大のパフォーマンスをあげていると言われていました。たとえば、1982年にチャルマーズ・ジョンソンが『通産省と日本の奇跡』を出版し、戦後日本の経済成長の要因はディベロップメンタリズム(開発主義)だと指摘しました。開発主義とは、通産省が行政指導を通して産業を育成するなど、官僚主導によって産業政策に取り組むあり方のことです。これは明治時代から続く「上からの改革」だと見られていました。