その結果、どういう状況が生まれたか。たとえば、いま現代思想を学んでいる大学院生の間では、新型の疎外論がブームになっているんですよ。自分の人生を自分で管理できているという感覚が失われ、「なんで私はこんなに満たされないのだろうか」という思いにとらわれているのです。
彼らの意識は社会に対してではなく、自分の内側に向かっています。みんなで団結して何かを変えようといった意識には向かわない。だから、新自由主義的な現状を変えようという動きも起こりにくいのだと思います。
施:その点は私も同意見です。いまこの場に集まっている私たちは1960年代後半とか70年代前半生まれですよね。あのころは労働組合などが力を持っていて、自分たちの意見を通すために積極的に社会運動に取り組んでいました。
しかし、最近の若い人たちと話しているとわかりますが、彼らはそうした運動を見たことがないんですよ。もちろん、自分が運動に参加した経験もない。いまは大学でも自治会を作りませんからね。留学生や外国人労働者が増えているので、学校でも社会でも一緒に協力して組織を作ることが難しくなっているという面もあると思います。若い世代の多くは何か目標を達成するために話し合ったり、複数の主体の利害を調整したりしたことがなく、目標は誰かに設定してもらうものだと思っているように感じます。
これはトップダウンで意思決定を行うということと同じですので、まさに構造改革が目指していたものそのものですよね。最近流行りのSDGs(持続可能な開発目標)なんてその典型でしょう。自分たちで自分たちの社会や組織の独自の目標を設定するのではなく、上の人間が目標を外部から定めているわけですから。
中野:学生のころからそうした習慣が身についてしまうと、改革路線から抜け出すことは難しくなりますね。
官僚化する教育現場
中野:古川さんは大学改革に関する論文を書かれていますが、教育現場の現状と新自由主義の生命力の強さの関わりについてどのように見ていますか。
古川:先ほどの施さんの話は、まさに教育現場の現状そのものです。私は仕事柄、小中学校の先生方と話す機会が多いのですが、彼らには教育の目標を自分たちで話し合って考えていこうというような姿勢は皆無と言っていい。文科省から下りてくる学習指導要領をバイブルのように崇め奉っていて、自分たちの仕事はその目標をいかに効率的に達成するかを考えることなのだというマインドが骨の髄まで染みついています。