「M-1で勝つことをやめた47歳芸人」その後の人生 ぴっかり高木といしいはなぜ解散を選んだのか

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「それまでは、コンビで1年間、(お笑い)ライブに出ていました。ピラミッド式に勝ち上がっていくライブなんですが、僕らは毎回、一番下かその上を行ったり来たりしているような状態。月に2回のライブ以外はバイトというような生活で、こんなんじゃ『お笑い芸人やってます』なんて言えないな、と。どうにかこの状況に風穴開けられないかなと思っていたところに『住みます芸人』の話があったので、思わず食いつきました。

もちろん(お笑い芸人なら)普通は、ライブのピラミッドをどんどん上がっていくなり、M−1のファイナリストを目指すんでしょうが、そういうのじゃない“山の登り方”もあるんじゃないかと思って、(住みます芸人に)手を挙げたんです」

だが、なぜ「山梨県」だったのか。いしいが続ける。

「(プロジェクト開始当初は)地方出身の芸人が、地元の『住みます芸人』に手を挙げるというケースがほとんどでしたが、それでも、いろんな事情で、手が挙がってない県がいくつかあって、そのひとつが山梨でした。

一方、僕は東京、ぴっかりは大阪出身で、『住みます芸人』で東京、大阪(に住む)というのもないだろう、と。それで会社に『(地方で)どこか行けるところがあったら行かせてください』って言っていたら、山梨はどうかと勧められたんです。

山梨にはなじみがありましたし、実はそのとき、僕、すでに結婚していて、おまけに今の長女が、妻のお腹の中にいまして。万が一、何かあっても山梨なら(実家のある)東京に戻れるということで、山梨に行くことにしたんです」

相方・ぴっかり高木の独特な経歴

しかし、相方のぴっかり高木は当初、山梨行き以前に、「住みます芸人」になること自体に難色を示していたという。今度はぴっかりが振り返る。

「大阪から東京に出てきて2年、いしいさんとコンビ組んで1年、これからというときになんで、また地方に行かなくちゃいけないのって思って、『嫌だ』って言ったんです。けど、いしいさんの奥さんが『いい』って賛成してくれているのに、相方の僕が反対するのは良くないと思って、心入れ替えて、(山梨に)行くことにしました」

ドラゴンボール芸人として活躍中のぴっかり高木(写真:本人インスタグラムより)

この「ぴっかり高木」、見た目と同様、なかなかユニークな考えの持ち主なのだが、その経歴も一風変わっている。

ぴっかりは1973年、大阪生まれ。もともとは吉本の旗艦劇場「なんばグランド花月」(NGK)で、駐車場の管理やビルの清掃を担当する子会社の社員として働いていたという。

ところが、そのNGKで、かつて、漫才コンビ「ぴのっきを」のボケとして、関西のお笑い界を席巻した早逝の芸人、「清水キョウイチ郎」(2006年に41歳で死去)と出会ったことを機に、30歳で芸人の道に足を踏み入れた。

ピン芸人としてインディーズで活動した後、2007年に「ドラゴンボール芸人」として知られる「R藤本」とコンビを組むものの、1年で解散。翌2008年に上京したという。

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