「M-1で勝つことをやめた47歳芸人」その後の人生 ぴっかり高木といしいはなぜ解散を選んだのか

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小


2011年5月、甲府市に居を移した2人は、半年も経たないうちに、地元テレビ番組のレギュラーコーナーに起用された。さらに2012年、富士川町が「人口300人アップ作戦」を打ち出したことを機に、いしいは妻と、産まれたばかりの長女と「最初の3人になります」と、富士川町に移住。そして2013年以降は、コンビで「山梨大使」に任命されたこともあって、地元テレビやラジオのレギュラー番組も増え、ローカルタレントとしての活動は順調そのものだった。

テレビやラジオ以外にも何かできるんじゃないか

にもかかわらず、いしいはなぜ、一見畑違いに見える、「移動販売」を始めたのか。再びいしいが語る。

「山梨に来て5年ぐらい経ってからですかね。『住みます芸人』と名乗るからには、ただ地元のテレビやラジオに出させてもらって、イベントに呼んでいただいて、わーってやって終わりっていうのは、何か違うんじゃないかなって思い始めて。

それに、2011年に長女が、2013年に次女が生まれたことで、彼女たちが少なくとも高校を卒業するまでは、何としてでも山梨で頑張ろうって腹を括ったんです。彼女たちにとっては、この山梨が『故郷』なんで。

そうすると先はまだ長い。じゃあ、テレビやラジオ(に出演する)以外にも、『住みます芸人』としての活動が何かできるんじゃないかと思ったんです」

きっかけとなったのが、2015年に1年がかりで、コンビで山梨県内の全27市町村を回ったライブツアーだったという。いしいが続ける。

「あのときは、各市町村の商工会や商店街の人たちが、『せっかく来てくれるなら』と、ライブに合わせてイベントを開いてくれたり、お祭りを催してくれたんです。このときのライブツアーが本当に楽しくて。地元の人たちと触れ合う、協力してイベントを立ち上げるような、『会いに来てもらう芸人』じゃなくて、自分から『会いに行く芸人』こそが、住みます芸人だと思いました。

それで、ライブ終わりに当時のマネージャーだった藤原と『地元の人に会いに行くっていうのが日常的にできたらいいね』という話をしている中で、『移動販売』という発想が出てきたんです」

現在、吉本興業の「業務推進室」で、住みます芸人とエリア社員(住みます社員)を統括する「エリアアクション」を担当する藤原邦洋(39)。以前はコンサルタント会社に勤務していたが2013年、通勤電車で見た求人誌の車内吊り広告で「エリア社員」を募集していることを知り、応募。2014年に入社した。以降、山梨県の担当となり、いしいとの付き合いは7年に及ぶ。藤原が語る。

次ページ大家が“移動販売歴30年のプロ”だった幸運
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事