「ふつうに、何もなく接してきましたね。『何? それがどうしたの?』という感じ。それは本当に、私は『偉いな』と思いました」
わかる気はします。もし子どもと血縁がないことを親が引け目に感じていたら、子どもが出自を知ったとわかったときに動揺するでしょう。すると子どものほうも、自分が養子であることをネガティブに捉えかねません。しかし、親が堂々としていれば、子どもも多少はほっとできそうです。
「養子縁組したことは、大人になって戸籍を見れば、わかるじゃないですか。隠し通せることじゃない。たぶん両親は、そういう感じだったと思うんですよね」
なおその後、生みの親には「一回だけ会った」といいます。朋絵さんに子どもが生まれたとき、その人に「孫を見せたい」と思っていたところ、夫が取り持ってくれたのです。その後は特に交流はないそうですが、このとききょうだいがいることがわかったため、その人には「いつか会ってみたい」と話します。
高熱で実子を失っていた、養親への思い
朋絵さんは親に対し「申し訳ないような気持ち」を、強く感じているといいます。
一番の理由は、婿をとらなかったことについて。母親も一人っ子で婿をとっており、娘の朋絵さんに対してもやはり「(姓を)継いでほしい」とずっと言っていたからです。
「だけど、私がその期待を見事に裏切ってしまって。お付き合いする人はいつも長男ばかりで、母が持ってきてくれたお見合い話には見向きもしなかった。それで父が最後は『しょうがないでしょ』と言って、結婚を許してくれた形でした」
両親はつねに優しく、朋絵さんに対して何も強く求めなかったので、唯一の期待に添えなかったことが、ひとしお悔やまれるようです。ただし、これは実子でもあることでしょう。養子だからというより、大切に育てられたから、という部分が大きいのかもしれません。
もうひとつ、コロナ禍で聞いた母親の言葉も、朋絵さんには重く響いていました。
「8月に、コロナに感染した妊婦さんが入院できず、お腹にいた赤ちゃんが亡くなったというニュースがあったじゃないですか。あのときにふと、ニュースを見ながら言ったんです。『私も高熱で、こうだったんだよ』と、85になる母が。
『2人とも子どもができない身体だったから私を養子にした』と言っていたんですけれど、本当はそうじゃなかった。一度は子どもがお腹に宿っていたのと、いないのとでは、ちょっと違うと思うんです。きっと、お腹の子に話しかけていたでしょう。その過去をやっと私に話してくれた母の気持ちと、封印したまま他界した父の気持ちを思うと、すごく申し訳ないな、という気持ちになって。私自身は無事に出産して子育てをしてこられたから、抱く感情かもしれません」
正直なところ、この“申し訳なさ”というのは、筆者にはうまく想像しきれませんでした。養子だから感じることなのか、それはあまり関係ないのか? 筆者も一度流産を経験していますが、おそらく母親は、娘がそんなふうに受け止めるとは思わなかったのでは、という気がしてしまいます。
「いろんなことが重なり合っていると思うんです。私は結婚後も休むことなくずっと働いていますが、父と母が本当に子どもたちの面倒を見て応援してくれて。当時は当たり前のように思っていましたが、両親のバックアップがなければ、仕事と育児の両立は不可能でした。月日が経ち、今度は私の娘が学生結婚で出産して、私と夫が仕事をしながら孫の面倒をみるようになり、親の大変さ、ありがたさを、身に染みて感じています」
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