なお朋絵さんは、同じ養子の立場の人たちの役に立てたら、ということもよく考えるといいます。
「同じ養子縁組といっても、事情や状況はそれぞれ違うと思うんですが、絶対に葛藤はあるはずです。もしそこで悩んだりする人がいるなら、話を聞いて少しでも気持ちを和らげるとか、そういうことは協力したいな、という気持ちがあります。
養子縁組って、そこで終わっちゃうと思うんです。でも、縁組で出会うことができた家族にも、さまざまな困難があるかもしれません。縁組から20年後、30年後まで、誰も追っていない。そのあと、たとえば育ての両親が病気で亡くなるなど、何かあったとしても、自分だけで乗り越えていかなければいけない。そのとき、少しでもそういう人たちの思いを共有して、応援したいなっていう思いがあります」
「ここの家族に来た意味」を考える
いま振り返って、養子縁組に関して「知りたくなかった」と思ったことは何かあるか? そう尋ねると、朋絵さんは「あったが、受け入れた」とのこと。
「(血縁のほうの)実父母の過去については、知りたくなかった、と思うこともありました。でもやっぱり、『受け入れなければいけないな』と思ったんです。実父は自殺で亡くなっていて、そこだけは受け入れたくなかったですけれど。あと、実の母と父って、いわゆる普通の(婚姻関係にある)夫婦ではなかったんですね。それに関しては、ちょっと複雑な気持ちにはなったんですけれど」
なお、真実を中学生のとき偶然知ったことについては、「自分で確認できてよかった」と言います。ただしそれは、よかったと思うしかない、という面もあるでしょう。どんなふうだったらよかったか、と考えたところで、過去は変えようがないからです。
「そういうことって尾を引くんだな、とは思います。生きていく間、ずっと心のなかで思う。忘れることはできない。この年になっても思っているくらい。ちょっと上手に言い表せないんですけれど、『ここの家族に来た意味』というのを、ずっと考えます」
ここの家族に来た意味――。どんな人でも、親や生まれてくる環境を選べません。その意味では、養子もそうじゃない人もあまり変わらない気がします。でもやはり「生みの親」と「育ての親」が一致しない人はどうしても、「その家族に来た意味」ということを、突き詰めて考えざるをえないのでしょう。
朋絵さんは、「養子とわかってショックを受けている人」に、こんなことを伝えたいといいます。
「私の親は、本当に大事に育ててきてくれたので、そういう親御さんであることを前提にお話しさせてもらうと。血のつながらない子どもを引き取って育てるのは、不安もあったでしょう。安易にはできないことだし、本当に大変なこと。だから『ふつうの親子以上に、つながりが深いんだよ』ということは伝えたいですね。
あとは、養子であることを『そうネガティブに考える必要はない』ということも伝えたいです。月日が流れれば、家族内で環境や心情に変化が生じることもあります。もしそこで悩んだとしたら、相談する場所が必要であることは確かです。養子縁組を法的な制度とするなら、養子縁組を斡旋する団体とは別に、そういう人たちが事実を受け入れて前に進むのを励まし合うようなネットワークや団体も必要ではないかと思います」
朋絵さんには、言葉にできない思いが、まだまだたくさんあるようです。もどかしいその思いは、もしかすると、ずっと消えることはないのかもしれません。
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