そして、何より印象深かったのは、「いま心を守りながら生きることに困難を感じ傷ついている方がたくさんいらっしゃると思います。周囲の人のあたたかい助けや支えによって、より多くの人が心を大切に守りながら生きていける社会となることを心から願っております」という締めのメッセージ。
これは、この問題が「お二人の個人的なトラブル」といった次元の話ではなく、「同調圧力や誹謗中傷、ねたみなどが渦巻き、息苦しく、生きづらい日本社会全体の課題でもある」と提起しているかのようでした。
そのうえで、常識や前例に縛られて苦しむ人たちに「もっともっと自分たちの心に忠実であれ」「自分の道を貫け」と鼓舞するかのような「強い社会的メッセージ」に聞こえ、多様性や寛容性を訴える姿はまるで、レジスタンス運動の志士のような力強さを感じさせたのです。
その考え方は、これまでの常識に固着しないミレニアル(2000年代の初頭に成人または社会人となった20代後半から30代後半の人たち)的な価値観を反映しているのかもしれません。
皇室が抱える「コミュニケーション不全」という問題
保守的な思考を持つ人にとって大切な「伝統」は、進歩主義の人からすれば「因習」にすぎないところもあるでしょう。その相克はいつの時代にも存在し、なかなか折り合えないもの。
一方で、今回残念だったのは、「皇室サイドのコミュニケーションの稚拙さによって、問題が深刻化してしまったのはないか」ということです。言い換えれば、「コミュニケーションのやり方次第では、ここまでこじれることなく、考え方の違いを乗り越えることができたかもしれない」ということです。
純粋な愛を貫いた彼らへの理不尽な批判や、メディア側の報道の異常な過熱ぶりには違和感しかありませんが、理解できるとすれば、そのフラストレーションや関心の理由のひとつに、「皇室側から納得のいく説明があまりなかった」というところでしょう。根っこには、現在の皇室の抱える「コミュニケーション不全」という大きな問題があります。
海外に目を向ければ、世界のほとんどの王室はまさに「開かれた王室」を目指して、全速力で「コミュニケーション改革」を進めています。
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