それは、視聴者のターゲットを完全に女性に絞っているからです。女性ターゲットだと、どんな女性でも共感できるようなヒロインを設定しなくてはなりませんが、今の時代、主人公ひとりで全要素持っている女性を設定するのはとても難しいのです。
たとえば、「ごちそうさん」はヒットしましたが、「料理の上手な主婦」という設定に、私の周りの働いている女性はあまり見ていませんでした。「花子とアン」で主人公を2人設定したのは、リスクヘッジ。対照的な2人を主人公にすえれば、どちらかに共感してもらえる確率が高まります。
花子と蓮子、アナとエルサの4人のヒロインに共通しているのは、“鳥かごのように決められた環境から飛び出たい”という欲求です。自分の意志で衝動的に飛び出してしまったのが、蓮子とエルサ。アナと花子はもう少し常識的。アナはハンス王子からの求婚を利用して飛び出し、花子は自らの学力を強みに山梨から進学のために上京します。
皆、「縛られた環境から出るヒロイン」という点では共通しているのですが、その飛び出し方が常識的か、非常識的かというところが違っていて、それを対比させて描いているのです。
そもそも、女性の中には二面性があり、「常識的な人生を送りながら、非常識な世界にあこがれている」という女性はとても多いものです。ところが、非常識な行動ができる女性というのはけっこう少ないものです。
花子は、夫と結婚するまでの過程で少しだけ非常識な面を見せますが、基本は、頭のいいまじめな優等生。彼女だけ描いても予定調和で盛り上がらなかったと思います。そこに「非常識」の象徴である蓮子を加えたところが、大きな勝因であったことは間違いありません。「花子とアン」に蓮子がいなかったら、「いつもの朝ドラ」なので、少なくとも筆者は見ていません。
『アナと雪の女王』でも、アナは不良になってみたり、突然結婚してみるなど、非常識な面を見せますが、基本は王国の枠組みの中にいます。反対にエルサは、魔法も使えるし、自分の世界をつくってしまった人。超非常識な世界の象徴で、次に何をやるのか想像がつかない。エルサがいなかったら、ありきたりな「プリンセス映画」となり、こんなにも大ヒットしていなかったでしょう。
世界中の女の子たちが無意識に「Let it go」(直訳すると“解放して”)という曲にはまっているのを見ると、女性というのはこんなに幼い頃から親や周りに気を遣って生きているのかと逆に思ってしまいました。
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