大学中退し「食用バラ」で起業した女性の波乱万丈 新商品でピンチを乗り切り、年商1億円を超えた

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大学を無断で辞めたときには激怒した両親も起業する頃には全力応援モードで、母親は勤めていた会社を辞め、「3年間だけ手伝う」という約束で、経理を担当。営業職をしていた父には名刺交換の方法から教わり、週末はバラの栽培にも手を貸してくれた。

家族の支えもあり、田中の船出は順風満帆……とはいかなかった。ここから「地獄の日々」が幕を開ける。

地獄からの脱出

最初に植えたバラは、およそ3カ月で花を咲かせる。田中は、大阪で学んだとおりに苗を植えて育てた。その数、3000本がほとんどすべて枯れた。理由がわからず、目の前が真っ暗になった。

しかし、多額の借金をして起業したのだから、やっぱり辞めますと簡単に諦めるわけにはいかない。そのときのスケジュールは、過酷だ。早朝6時からバラの栽培をして、昼過ぎには東京に向かい、売るものもないまま飲食店を中心に営業に回る。夜、深谷に戻った後、居酒屋でアルバイト。帰宅するといつも日をまたいでいて、睡眠時間はだいたい2、3時間だった。

もちろん、それだけでは根本的な解決にはならない。なにが全滅の原因だったのかわからないのは知識不足もあると自覚した田中は、改めて農業を学ぼうと、ある農業ベンチャーが運営する社会人向けの農業スクール「アグリイノベーション大学校」に通い始めた。

ここでは、座学の授業は都内の大学などで開催され、実習は主に千葉や埼玉で行われる。週末にまとめて学ぶカリキュラムだったので、週末は父親にバラの世話を任せて授業を優先した。

体力的、精神的にもきつい毎日で、田中はこの時期を「地獄の日々」と表現するが、投げ出したいと思ったことはなかったという。

「自分ひとりだったらとっくに諦めてたと思うんですけど、なにも持っていない私に優しく接してくれた人もいたし、つらい時期を一緒に耐えた社員もいたし、そういうことを考えら、私はひとりじゃないと思えて、頑張れました」

結果的に、この愚直な努力が地獄から抜け出す契機となる。あるとき、アグリイノベーション大学の講師が、当時、日本一の栽培面積でバラを育てていた大分のバラ農家を紹介してくれた。同社はオリジナル品種の開発に長けており、100種類以上のバラを取り扱っていた。

同業ということで打ち解けた田中は、バラの栽培に失敗したこと、その理由がわからないことを率直に話した。すると、深谷で指導してくれることになった。その指導を受けるうちに、致命的なミスに気づいた。深谷市は、大阪よりも暑い。それなのに、大阪のレシピどおりに水分量や肥料などを調整していた。それで栄養失調になり、枯れたのだ。

アドバイスを受けて栽培方法を変えると、目に見えてバラが元気になった。これでようやく売り物ができる! 確かな手ごたえを得た田中は半年ほど続けていたアルバイトを辞めて、本業に専念することにした。

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