大学中退し「食用バラ」で起業した女性の波乱万丈 新商品でピンチを乗り切り、年商1億円を超えた

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ここでまた立ち止まった。「特技も趣味もやりたいこともない」まま大学生になったから、なにが好きなのかがわからなかったのだ。しかし、家族との会話でハッと気づく。ずっと好きだったものがあった。それが、バラだった。

きっかけは、田中の曾祖母だった。ひとりで子ども7人を育てながら起業して、鞄やかばんを作って戦前から現代にいたる激動の時代を生き抜いた曾祖母は無類のバラ好きで、ブローチやワンピースなどバラをモチーフにしたものをつねに身に着けていた。田中が小学生のとき、「なんでバラが好きなの?」と尋ねたら、「バラは女性を美しく強くするんだよ」と教えてくれた。室内でも色の薄いカラーサングラスをかけ、つばの広い帽子や、頭にちょこんと乗せるような小さな帽子をかぶるなど、いつもファッショナブルだった曾祖母のことが、田中は大好きだった。

曾祖母の影響もあって田中家は全員バラ好きで、田中も刷り込まれるようにバラ好きになった。

きっかけは、ある日の食事時

改めてそれを意識したのは、ある日の食事時。「最近聞いたんだけど、食べられるバラがあるんだって」と母親が言った。そこから、いつもの調子で家族はバラの話で盛り上がった。そのなかで田中はひとり、「食べられるバラ」から思考を深めていた。

バラ好きの家庭で育ち、バラ好きに(筆者撮影)

――食べられるバラか、食べてみたいな。ていうか、バラが食べられないって誰が決めたんだろう。これって固定概念じゃない? そうやって、私の人生、たった19年間で見たり聞いたりしたことですべてを判断してきた気がする。本当は見えるものも見えないようにしてたんだろうな……。

ここから、目の前に立ち込めていた鈍色の霧が晴れるように、田中は解放される。

「自分にはなにもできないって落ち込んでるけど、それも勝手に自分でつけたレッテルかもしれない。やってみたら、できるかもしれないのに!」

それまでの人生を振り返ると、田中にとって唯一「好き」と言い切れるものは、バラしかなかった。それならバラを育てよう。食用バラを育ててみたい。ようやく、幸せに生きるための扉のカギを見つけたような気分だった。

ここで、田中は大胆な決断を下す。「このまま大学にいてもなにも変わらない。1秒でも早くプロになりたい」という想いが湧き上がり、大学2年生の途中で退学届けを出したのだ。止められること、怒られることはわかっていたから、家族にも、友人にも相談しなかった。他人と違う行動をして目立つことを恐れてきた田中の背中を押したのは、曾祖母の言葉だった。

「自分の人生は自分が主役だから、やりたいことやりなさい」

次ページゼロから食用バラの栽培を学んだ
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