哲学者ニーチェが「道徳を最も嫌った」論理的理由 自分自身を誠実に打ち出すことこそが望ましい
この「生きることそのものをネガティブに捉える」という発想から、ニーチェのデビュー作『悲劇の誕生』という本はスタートしています。つまり、「生きるということは苦しみであり、この世界に生まれるというのは、非常に悲惨な出来事である」と言うのです。
だからといって、すぐに死ぬということにならないのが『悲劇の誕生』という本の大きなポイントになるのですが、このネガティブな思想はショーペンハウアーの影響を受けたものでした。ショーペンハウアーが”ペシミズム(厭世主義)”と言われるのは、生きるということはまさに苦しみであるという発想によるものです。しかし、すぐに死ぬのでなければ、どうやって生きていくのかという問いが残ります。
そこでニーチェは、『悲劇の誕生』の中で、ショーペンハウアーの図式をそのまま使って説明しました。いわく、生きる苦しみを芸術によって一時期忘却する、という解決策です。
「芸術によってのみ救済される」図式をのちに批判
しかし、ニーチェはこの図式を最後まで持ち続けませんでした。生きることはまさに苦しみであり、芸術によってのみ救済されるという若いころに唱えた図式を、のちに“ロマン主義”だと言って批判するのです。しかし、ロマン主義でなければ、人生が楽しくなるのかというと決してそういうことはなく、人生が苦しみであるという点は変わりません。
だからといって、芸術によって救済されるという形を取ることもできません。そうなると、もっとひどい話になるわけで、結局、救済の道がなくなっただけなのです。そこで後に彼が“永遠回帰”という発想をするとき、生きることが苦しみというのではなく、同じことが永遠に繰り返されるという発想に転換します。
人が何らかの行為をするとき、その1つずつには当然、意味や目的があります。AはBのために、BはCのために、CはDのために、といった感じで、次々と繋がっていきます。
例えば、大学に入るのは勉強するため、勉強するのは卒業するため、卒業するのは就職するため、就職するのは生活をするため……といった具合に繋がっていくのです。
しかし、生きる意味がなくなるとか、生きがいがなくなるというのは、これら1つずつではなく、すべてを統括するものの目的や意味がなくなるということであり、それがニヒリズムのいちばん大きなポイントになります。
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