哲学者ニーチェが「道徳を最も嫌った」論理的理由 自分自身を誠実に打ち出すことこそが望ましい

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実際、私たちは「絶対的な価値」「絶対的な真理」「絶対的な目的」「絶対的な美しさ」といった、誰がなんと言おうと正しい、みたいな発想は持っていません。ある地域、ある時代において、特定の人には美しいかもしれないけれど、それ以外の人には美しくない。

そういったさまざまな基準があり、すべての人に共通の、時間や場所を超越した絶対的なものを認めないのがニヒリズムであり、その意味では“プラトン主義”の批判になっています。つまり、すべての人が認めるようなイデア(※)なんて存在しないというのがニヒリズムなのです。

※プラトン哲学における用語で、感覚的な存在を超越した、先天的な、思惟によってのみ確認できる自己同一的で普遍的な真存在。プラトン主義の中心的な思想の1つであり、現実世界における事象は、普遍的な概念、すなわちイデアを分有することによって存在しうるという考え方

ニーチェはこうした形でニヒリズムを定義することによって、私たちの真理観、認識観、道徳観、あるいは芸術観などを含めて、それらに対する絶対的な基準というものを否定したのであり、それが1つの時代認識となるのです。

「生きがい」や「生きる意味」なんて存在しない

さらに、ニヒリズムの思想によって、“生き方”に関する基本的な考え方が変わってきます。私たちは「何のために生きているのか?」ということを考えがちです。“生きがい”とか“生きる目的”とか“生きる意味”とか。

ところがニーチェのニヒリズムでは、そんなものはないというのが当然の帰結になります。ニヒリズムの時代には、何のために生きるのかという目的や目標がなくなるわけですから、生きがいとか生きる意味なんて存在しないということになるのです。

それにもかかわらず、「何のために生きているのか?」「どうして生きるのか?」という問いは当然のように消えずに残り続けます。

この問題について、彼のデビュー作である『悲劇の誕生』の中で、半人半獣の神に「人間にとって、いちばんいいことは何か?」と問うたとき、半人半獣の神は「聞かないほうがいい」と前置きして、「生まれなかったことだ」と答えます。

それは質問している時点で不可能なことなので、それでは2番目に良いことを問うと、「すぐ死ぬことだ」と答えるのです。これがギリシャ時代以来の1つの大きな知恵として伝えられてきたのです。

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