"蛾のサイボーグ"が解き明かす脳の神秘 『サイボーグ昆虫、フェロモンを追う』を読む

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これがサイボーグかというと、『生命体(organ)と自動制御系の技術(cybernetic)を融合させたもの(ウィキペディア)』という定義からいうと、違う。出力を制御できるとはいえ、カイコガが玉乗りしているのを機械で模しているだけなのだから。しかし、すでに、このロボットの発展型としてのサイボーグが作られている。

カイコガの触角と目と脳だけを切り出している(画像をクリックすると研究室の当該ページへジャンプします)

カイコガが使われている同じような装置にみえるが、よく見るとカイコガの触覚と目と脳だけしかないのだ。

その脳から電極を通じて機械につながれている。フェロモンを感知する触覚、それを感じて筋肉へと指示を出す脳、そして、玉乗りロボットから明らかになっている視覚による制御のために必要な眼。その三つが、電極を通じて車を制御する。

小さいとはいえ、ここまでくれば立派なサイボーグだ。このサイボーグも、右側4倍速とかを補正することが可能で、約7割の率でフェロモンに到達することができる。たった7割と思うかもしれないが。1個の神経細胞から取りだした電気的刺激を増幅しただけでそこまでいくのは驚異だ。

もうひとつ、この研究室では、いわば逆向きのアプローチの研究もおこなわれている。それはシミュレーションだ。ちょっと込み入った話になるので、詳しくはこの本を読んでもらうしかないが、コンピュータで人工的に神経回路を作るという研究である。

こちらがプロトタイプ(画像をクリックすると研究室の当該ページへジャンプします)

そのプロトタイプともいえるロボットをみると、これはもうサイボーグと言っていいかもしれない。カイコガの触覚でフェロモンを感知させ、感知した電気刺激を、2個の神経細胞をシミュレーションした回路を介してロボットを動かすという実験だ。

実際にそのような運動にかかわる神経細胞は約350個ということであるから、2個というのは単純すぎる。しかしそれでも、ぎこちなくではあるが、ちゃんとフェロモンに近づいていくという。たいしたもんだ。さらに、こういった研究を、脳全体に広げていこうという壮大なプロジェクトもおこなわれている。

カイコガの神経細胞の数はおおよそ10万個。ヒトの1000億に比べると、はるかに少ない。しかし、10万個の細胞すべての神経活動を記録するのは不可能である。そこで、コンピューターによるシミュレーションがおこなおうとしている。

神経細胞の解剖学的なデータを元に、いくつかの単純な仮説をいれて、計算をおこなって、神経回路をモデリングする。これとて、膨大な情報処理が必要である。単純化したモデルであっても、現在、1万個くらいの神経細胞によるシミュレーションが限界。それをリアルタイムで動かそうとすると、日本が誇る『京』レベルのスパコンが必要なのだ。

カイコガが見る夢を、再現できるかもしれない

ここまで読んでいただいたら、今回の、すこし風変わりなタイトルの意味がわかっていただけただろう。カイコガが夢を見るかどうかは知らない。たぶん見ないだろう。しかし、もし見るようなことがあるならば、その夢を電脳の中で再現できるかもしれないのだ。そんな時代はそこまで来ている。

神経細胞が10万個というカイコガくらいの脳であれば、脳機能をリアルタイムでシミュレーションできる時代がやってくるかもしれない。すごいことだ。しかし、1000億もの神経細胞があるヒトの脳では、遠い将来は別として、ほぼ不可能だろう。カイコガさんの研究から、ヒトの脳は気が遠くなるほど高度であることにあらためて感動した。

仲野 徹 大阪大学大学院・生命機能研究科教授

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なかの とおる / Toru Nakano

1957年、大阪市旭区千林生まれ。大阪大学医学部卒業後、内科医から研究の道へ。京都大学医学部講師などを経て、大阪大学大学院・生命機能研究科および医学系研究科教授。HONZレビュアー。専門は「いろんな細胞がどうやってできてくるのだろうか」学。著書に『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社、2017年)、『からだと病気のしくみ講義』(NHK出版、2019年)、『みんなに話したくなる感染症のはなし』(河出書房新社、2020年)などがある。

 

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