「約1年半に及ぶコロナ禍で、何度もルビコン川を渡ってきた」
そう明かすのは、政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の尾身茂会長だ。専門家として何より必要なのは、サイエンスをベースにした社会的応用だと信じている。官邸や政府に煮え湯を飲まされながら、そのたびに歴史の審判に堪えうる科学者としての「インテグリティー(高い倫理性)」を貫いてきたつもりだ。時には政府批判とも受け取れる言葉を発してきた尾身氏だが、それも専門家としての「説明責任」だったと振り返る。
地域医療機能推進機構理事長を兼ねながら、新型コロナ対策の専門家集団を率いてきた尾身氏が、このほどインタビューに応じた。感染症対策と経済の再建との間で揺れる政府と、専門家集団との認識のズレを埋めるために苦悩したことを打ち明ける。いくつもの正念場を乗り越えてきた尾身氏の、いわば“告白”だ。
「専門家会議」として初めての「見解」
尾身氏が最初に「ルビコン川を渡った」と打ち明けるのは、国内に感染が拡大する前の2020年2月のこと。厚生労働省に設けられた「専門家会議」として、初めての「見解」を公表したときだった。
2月3日、感染者が乗船していたクルーズ船が横浜港に寄港した。厚生労働省は、専門家を集めたアドバイザリーボード(ADB)を設けた。同月16日にはADBをそのまま引き継ぐ「専門家会議」が、今度は内閣府に設置された。このころ、専門家は政府から諮問された課題に答えるにとどまる“受け身”の会議体だった。
当時、散発的なクラスターが起きていて、全国に広がる可能性が高かった。密閉、密集、密接という、のちの「3密」につながるウイルスの特徴もわかってきた。専門家が危機感を募らせる一方、政府はクルーズ船の対応に忙殺される。国内の感染症対策は手つかずのままだ。こうなったら、専門家が独自に政府や市民に向けて、コロナウイルスの特性や感染対策を示す必要がある。会議のメンバーは、そう考えていた。
同2月24日の第3回専門家会議を前に、その専門家が動いた。独自の「見解」を公表する準備を始めたのだ。尾身氏らメンバーは、できあがった見解案を事前に厚労省の官僚にメールで送付することにした。当然、官僚の反発を招くことは予想していた。
「頼まれてもいないのに政府の審議会で独自に提言するなど、前例はほとんどないはず。官僚が快く思わないのは、私のような鈍感な者でもわかりました。感染症対策は公衆衛生学、あるいは感染症学をベースにした社会的応用なんですね。われわれ専門家は、象牙の塔にこもっているわけにはいかない。ここで動かなければ、自分たちの存在意義が問われる。目をつぶってでも(ルビコン川を)渡らなければ、歴史の審判に堪えられない」
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