専門家会議は廃止された代わりに、経済や地方自治の専門家らを加えた、感染症対策分科会が新設されていた。尾身氏は、その分科会の会長に就く。4月からの緊急事態宣言で、感染状況は落ち着きをみせていたが、夏に入って東京・新宿の歓楽街などを起点とした感染が、全国に広がり始めていた。
そんなとき、官邸はGo Toトラベルを前倒ししてスタートさせようと、動き始めていた。
7月16日の参院予算委員会で、尾身氏はGo Toについて、こう答えている。
「今の段階で全国的なGo Toキャンペーンというのをやるという時期ではないと思います」
同じ予算委員会で、新型コロナ担当の西村康稔経済再生相は、この日の夕方に開かれる分科会で議論することを約束している。
ところが、その専門家会議が開かれる直前の午後5時過ぎだった。官邸で安倍晋三前首相との会談を終えたばかりの赤羽一嘉国土交通相が、記者団の前に現れた。ここで、東京発着の観光を除外してGo Toキャンペーンを始めることを表明したのだ。
西村大臣が約束した分科会での議論を待たずに、官邸が「東京外し」を決めてしまったのだ。尾身氏が最も大切にしていた、専門家と政治家の役割分担が蔑ろにされた瞬間だ。
「市民にステイホームとお願いしながら、一方で観光を促すのでは矛盾したメッセージになる。専門家の議論を経ずに決まってしまったことで、手足をもがれたような、強い危機感を覚えました。このことが後の政府との関係をどうすべきか考えるうえで、大きな転機になりました」
政治的な思惑や駆け引きによる感染症対策
政治的な思惑や駆け引きで、感染症対策が打ち出されていく。尾身氏が、Go To運用の見直しについて、「政府の英断を心からお願い申し上げる」など、強い調子で迫るようになったのは、それからだ。
政治と専門家との溝は、ますます深まっていった。
インタビューのなかで、尾身氏が唯一、自身の後悔に触れた出来事がある。
Go Toが開始された後、感染は全国に拡大していった。尾身氏らが最も警戒したのは医療の逼迫だ。8月に入ると分科会は医療の逼迫を回避するために、感染状況を数値化する指標作りを急いだ。病床の使用率やPCR陽性率などをステージ1~4に分類し、ステージごとに休業要請や、緊急事態宣言の発出などの対策を列挙した。
そこに、こういう一文を加えた。
「国や都道府県はこれらの指標を『総合的に判断』して、感染の状況に応じ積極的かつ機動的に対策を講じていただきたい」
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