エヴァを理解するために必要な「オタク」の概念史 作り手の葛藤と視聴者のそれが同時代的に共鳴
「オタク」の語が急速に社会に広まったのは、宮﨑勤事件がきっかけである。
1988年に連続幼女誘拐殺人事件が起こり、翌1989年8月、当時26歳の青年、宮﨑勤が逮捕される(2008年に死刑執行)。過熱する報道では、アニメや特撮、ホラーもののビデオやロリコン雑誌などのあふれた彼の自室がたびたび映し出され、社会的に「おたく」へのバッシングも高まった。
逮捕直後、『週刊読売』1989年9月10日号の宮﨑特集「第3弾」では、「おたく族とは」の見出しで、次のように説明している。「アニメやパソコン、ビデオなどに没頭し、同好の仲間でも距離をとり、相手を名前で呼ばずに『おたく』と呼ぶ少年たちのこと。/人間本来のコミュニケーションが苦手で、自分の世界に閉じこもりやすいと指摘されている」。
「オタク」という言葉が新聞紙面に現れた様子も確認してみよう。以下は、朝日新聞「聞蔵Ⅱビジュアル」、毎日新聞「毎索」、読売新聞「ヨミダス歴史館」を利用し、「オタク」「おたく」「お宅」などで検索し、二人称の意味での「おたく」を除外した結果である。『読売新聞』1985年7月14日「昨今芸能情報」が、二人称ではない「オタク」が新聞紙上に使われた初の例である。
ひどくネガティブな表現ではない
ここでは「おタク族」とは、音楽業界に関する話題に出てくる消費者層のことで、「高感度」で「情報に敏感」だけれど「すぐに自分のカラにこもって拒否反応を示す現代の若者」と表現されており、さほどネガティブな印象は受けない。ここでいう「おタク」とは、マーケティングにおける消費者の類型である。
『読売新聞』1987年1月21日の記事「電話 いまや学生の必需品」では、長電話を好む若者たちへの小田晋のコメントとして「かかわりを持ちたいが、ちょっと距離を置きたい」「ヤマアラシのジレンマ」的なメンタリティを二人称表現の「オタク」と関連付けている。この時点でも、懸念は示されているものの、ひどくネガティブな表現ではない。
宮﨑事件以前における、二人称ではない「オタク」の語の使用記事は、この2例以外に拾うことができなかった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら