アウシュヴィッツ生き延びた101歳の苛烈な手記 残虐非道な強制収容所で心の支えとなった友情
−8℃の極寒でも裸で寝かされた
アウシュヴィッツは死の収容所だった。
朝、目覚めても、夜ベッドにもどれるかはわからない。いや、ベッドなどなかった。幅2メートル半もない硬い木の板でできた粗末な台で、凍えそうな夜に10人が並んで眠る。マットレスも毛布もなく、他人の体温だけが頼りだ。瓶詰めのニシンのように10人がくっつき合って眠った。それが唯一の生きのびる方法だった。零下8度というきびしい寒さでも、裸で寝なければいけない。裸なら逃げられないからだ。
夜中にトイレに行ってもどってきたら、くっついて寝ている10人目の両端の者を揺り起こして中心に移動させる。そうしなければ、凍死するからだ。毎晩10人から20人が両端に長くいすぎたせいで死ぬ。そう、毎晩だ。生きのびるため、隣の男と抱き合うようにして眠りにつき、目が覚めるとその男は凍死して硬くなっている。死んで目を見開き、こちらをみつめているのだ。
夜を生きのびると、冷水のシャワーと1杯のコーヒーで目を覚まし、1切れか2切れパンを食べる。そのあと、ドイツの工場まで歩いて仕事をする。どの工場でも働くのは被収容者だ。ドイツで非常に評判のいい企業の多くは――現在も存続している企業もふくめ――わたしたちを利用して利益をあげていたのだ。
わたしたちは銃を持った兵士に見張られながら、片道最大1時間半の道のりを歩いて仕事に行った。雪、雨、風から身を守る唯一のものは、薄っぺらい服と、安物の木と帆布でつくった靴だけだ。荒く削った木のとがった部分が、一歩ごとに足の柔らかい部分に食いこむ。