「毎日がつまらない人」が浪費に走る納得の理由 平凡な生活や内面の充実が今、重視されている

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「ルーティン」についての章に、朝起きて、一日のスタートを気持ち良く切るのが良いということが書かれていますね。

僕は、毎朝7時ぐらいに起きて、ジムに行き、ランニング、筋トレ、ストレッチをして、サウナに入って帰宅します。これを一連の儀式として毎日やっていると、終わった瞬間に、すべての悩みが消滅して、前夜まで心がぐったりしていても、それがスッキリと消し飛んで多幸感に満ちあふれています。

これは、一種のマインドフルネスのようなものだと思います。これがあると、よし今日もこれから仕事するぞと前向きな気持ちになれるのです。

また、皿洗いのようなタスクにも、集中することで、日常を生まれ変わらせることができるということも書かれていますが、これもとてもよくわかります。食後に皿をきれいに洗って、ピカピカに拭いて、棚に収めるととても気持ちがいいものです。

「心のマウンティング」のための贅沢

振り返れば東日本大震災やリーマンショックの前のかつての僕は、高級レストランで派手に楽しんでいましたし、家で料理すると言えば、アワビやフォアグラなど高級食材を買ってくるという話になっていました。

今となっては、なんであんなことをしていたんだろうと思いますが(笑)、結局、自分はこんなにいい店に通い、こんなに高い食材を買っているんだということで自分自身の成功の証を確かめる、心のマウンティングをしていたにすぎないのではないかと思います。

僕と同年代の人々の多くは、当時、高い車を所有する自分、高い店を利用している自分、そういったステイタスにふさわしい自分になろうという、「期待値」で生きる時代を過ごしていたのです。

しかし、今の僕は、毎日、妻の分も含めて食事はすべて自分で作っていて、料理をすることそのものが、自分の健全な精神の支えになってもいます。

野菜は、茨城県で農業をやっている友人から取り寄せていますが、箱いっぱいに届いたナスやピーマンなどを眺めながら、土を洗い落として、これで何を作ろうかなと向き合います。

決して高級な料理ではなく、いかにナスの塩もみを美味しく食べるか、凝ったものを使わずに、日常で手に入るものでどう豊かな食事をとるかという健全さができているのです。

たとえば、今日のブランチは、昨夜炊いた食べ残りの玄米を洗って、そこにキュウリとナス、塩昆布をのせて、冷たい出汁をかけて食べました。これが夏らしくて気持ちいいなと思えます。

これは、禅の精神のようなものでもあるでしょう。健全な日常が、いつまでも続いてほしいという心の現れだと思っています。

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