難病ALSで逝った父が家族に遺した「1冊のノート」 「ネオ・ヒューマン」が人類に与えてくれる希望
まず、動きづらい、疲れやすいというところからはじまって、どんどん呼吸ができなくなり、最期は心臓の筋肉が動かなくなって死に至ります。でも、その間も脳はずっと動いているのです。意識がしっかりしているのですから、真綿で首を絞められるようなものですよね。
親父は、旅行や飲み歩きが趣味でした。新潟県民ですから日本酒も好きでした。でも歩けなくなるし、立てなくなる。口も動かないし、表情も変えられなくなっていく。死神が近づいてくるのが自分でわかるのです。
ところが、同じ状況になったピーターさんは、「脳が動いているのだから」という点に、逆に「希望」を見出しています。テクノロジーでなんとかなるじゃないかと。
1つの物事には、表から見ればポジティブだけど、裏から見ればネガティブだという多面性があります。たとえば、オリンピック・パラリンピックへの評価がそうです。「こんな時期にお金をかけてこんなことをやって」と批判する人もいますが、アスリートが活躍するのを見て、なんだかんだ「やった! 勝った!」と騒いだりもします。
ポジティブな面、ネガティブな面、両方があり、そのどちらを見るかで人生が変わってくるわけです。それは、その人の選択でもあります。
僕たちは、たまたまネガティブな面しか見られませんでしたが、ピーターさんは「いや、ポジティブなんじゃないか」と思って見ている。これができると、多様性と可能性が生まれますね。
日本人は、どうしても「みんながネガティブならば、僕もネガティブ」というふうに、自分の見方を周囲の「答え」で整理してしまいがちです。しかし、多様な見方をすれば、不治の病でも長く生きられるというような解決策が出てくるわけです。
1人の「生への渇望」が時に世界を変える
ただ、親父とは、別の見方についても話し合ったんです。ホーキング博士は宣告されてから50年も生きているじゃないか、と。でも、あれは科学の粋を集めて延命治療をしているからだという結論になってしまうんですね。
そこで僕が奮起して、「ホーキング博士が生きられるなら、うちの親父も生きられるんじゃないか」と鉢巻きをしめて頑張れば、もしかしたらあと1年でも2年でも生きられたかもしれません。そう思うと無力感も覚えます。やはり、あきらめなければ到達できるところがあるんだと思います。
ピーターさんの場合は、ロボット工学を学んでおり、合理的・論理的思考を育まれてきたという環境に恵まれた面もあるでしょう。でも、何より意思の強さがあります。病気にケンカを売られても、立ち向かうという強さです。
こういった一部の人が成功事例を作ることで、世の中をどんどん変えていくのだとも思いましたし、新しい時代を作ろうとする強い意思も感じます。
そして、その強い意志の根底には、パートナーの存在があります。恋人のフランシスさんは、最終章にも登場しますし、ゲイカップルとしての幸せな時間を貫いていこうとする、生に対するこだわりを感じます。
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