隠蔽された「広島の原爆被害」伝えたのは黒人記者 放射線被害を正確に報じた、ほぼ唯一の米国人

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娘のステラ・ローブ=マンソンによると、日本の記憶は戦後も長くローブを苦しめた。溶けた顔、横たわる遺体から垂れ下がった皮膚などについて父が話をしていたのを覚えているという。取材の最中、ローブ=マンソンはローブが撮影した写真を指さした。ひどい状態で路肩に転がっている遺体の写真だった。

「何年もの間、父は精神的にボロボロだった」とローブ=マンソンは言った。ローブの鬱屈した感情は、少しずつ怒りに変わっていった。「父はあのこと語る必要があったんです。そうしなければならなかった。(精神的に)本当にひどい状態でした。父が本当の意味でそれを乗り越えることはありませんでした」。

放射線障害をえぐった無双の報道

データベースを調べてみると、当時ローブと同等のレベルで放射線障害にしっかりと焦点を合わせ、詳細に報じたジャーナリストは皆無に等しかったことがうかがえる。

ニューヨーク・タイムズはこの話題を完全に無視しようとしていた。広島の原爆に関する同紙の報道を分析したジャーナリズム学教授のビバリー・ディープ・キーヴァーは、検証した132本の記事のうち放射線に言及したものは1本しかなかったと報告している。

それでも、ローブの記事が発表されてから1カ月後の1945年11月には、放射線問題に対する世の中の認識が高まったことから、グローブスも初期バーストによる犠牲を否定できなくなっていた。グローブスは、初期バーストの人体への影響を説明するのに「極めて快適な死に方」という言葉を持ち出した。

黒人新聞は、その後の数カ月も報道の手を緩めなかった。ボルティモア・アフロアメリカンは「何千人という放射線被害者」の存在を伝えている。

ローブは1978年に73歳でこの世を去った。原爆に関するスクープが評価されることはなかったが、晩年にはジャーナリストたちの間で黒人新聞記者の長老的な存在として知られるようになっていた。

1971年には、コロンビア大学で歴史的証言の採録を目的に行われたインタビューで、長きにわたる自身のキャリアを振り返っている。当時クリーブランド・コール・アンド・ポストの編集主幹を務めていた66歳のローブは、メディカルスクールに進まなかったことには悔いが残るとしつつも、こう述べた。外科医になっていたとしたら、おそらくジャーナリストとしての自分ほど社会に対して大きな貢献はできなかっただろう——。 =敬称略=

(執筆:William J. Broad記者)

(C) 2021 The New York Times News Services 

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