隠蔽された「広島の原爆被害」伝えたのは黒人記者 放射線被害を正確に報じた、ほぼ唯一の米国人

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2020年刊行の『Atomic Doctors(原爆ドクター)』で著者のジェームズ・ノーラン・ジュニアが詳しく書いているように、ウォーレンは病院、患者、生き残った日本人医師から徹底的に情報を集めた。発熱、下痢、毛髪の喪失、血液の滲出(しんしゅつ)といった原爆による放射線被害を繰り返し目にした。軽症とみられた患者が急死するケースもあった。

ウォーレンは調査報告をまとめるにあたり、こうした症状が実際よりも軽く見えるように気を配ったとノーランは話す。「グローブスが上司でしたからね。読み手(の期待)をよく理解していたということです」。ノーランの著作の副題が「Conscience and Complicity(良心と共謀)」となっているのは、このためだ。

ローブが真実を見極めるのに、彼の受けた教育が役立ったことは間違いない。新聞記者の仕事に進路を変更する前、ローブはアメリカ屈指の名門黒人大学ハワード大学の医学部進学課程で学び、物理学、化学、解剖学、病理学、X線および鉛による防護などの基礎に親しんでいた。メディカルスクール(医学大学院)に進学しなかった理由についてローブは後に、関心がなくなったからではなく、学費が払えなかったためだと振り返っている。

ローブがどこでウォーレンと出会ったのかは明らかになっていない。記者会見だったかもしれないし、社交の場だったかもしれない。その両方の可能性もある。東京では2人とも第一ホテルに滞在することが多かった。軍人と民間特派員の宿舎になっていたホテルだ。

広島で目にした光景がトラウマに

その10月、ローブの記事はボルティモア・アフロアメリカン、フィラデルフィア・トリビューン、そして戦前に彼が所属し、後に復帰したクリーブランド・コール・アンド・ポストといった黒人経営の別の新聞にも掲載された。これらの新聞は戦争初期に22の出版社によって結成された黒人報道グループに属しており、発行部数を大きく伸ばしていた。同胞の兵士たちの状況を知る手段として購読する黒人読者が増えていたためだ。

ローブは、広島から帰ってきた特派員たちの様子を「茫然自失となっていた」と形容している。しかし、それとは対照的に、彼の記事は感情を排したものだった。科学論文でも執筆するかのように、彼は結論に番号を振った。放射線は爆発とその被害に次ぐ3つ目のポイントだった。

人々の苦しみを描写しようとする記者の試みはすべて軍の検閲で削除されていた時代だ。破壊された建物の様子を伝えることはできても、めちゃくちゃになった遺体について書くことは許されなかった。そのためローブの記事にも、被爆者の細かな様子は記されていない。

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