隠蔽された「広島の原爆被害」伝えたのは黒人記者 放射線被害を正確に報じた、ほぼ唯一の米国人

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自身の記事でローブは、広島を取材していた記者団がアメリカの科学者や医師らによる軍の原爆被害調査団に出くわしたときのことを書いている。原爆開発を指揮したアメリカ陸軍少将レスリー・グローブスが命じた調査で、グローブスの副官だった准将のトーマス・ファレルが団長を務めていた。ある科学者は、初期のブリーフィングでファレルが調査団に、あなたたちの使命は「放射能が一切存在しないと証明することだ」と告げるのを聞いて仰天したという。

歴史家らによれば、グローブスは原爆が新しいタイプの非人道的な兵器ではなく、破壊力を圧倒的に高めた従来型の兵器に見せかけようとしていた。1925年の国際条約で細菌兵器や化学兵器の使用が禁じられていたためだ。マンハッタン計画の最高責任者だったグローブスは、原爆が比類なき恐怖の兵器として描かれることや、放射能兵器を戦争に使用したことが公に議論される展開はまったく望んでいなかった。

グローブスは1943年には放射線の問題を理解するようになっていたが、情報を分断管理し、政府の上層部に問題を詳しく知られないようにしていたと歴史家らは指摘する。情報は大統領のトルーマンにも伏せられていた。研究者らによると、広島への原爆投下を許可したとき、トルーマンは原爆が与える放射線の影響についてほとんど何も知らなかった。その後、トルーマンは後悔の念を口にしている。

政府のウソに乗ったNYタイムズ

1945年8月6日の原爆投下から間もなく、ニューヨーク・タイムズは放射線をめぐる日本とアメリカの論争についての報道を開始した。9月に掲載されたローレンスによる1面記事の見出しは、アメリカの実験場における科学データは「放射線ではなく爆発による被害を立証」、放射線による犠牲者が出たとする「日本の作り話」を否定、というものだった。

その翌日、ニューヨーク・タイムズは東京発の記事を掲載し、「広島の廃墟に放射能はなかった」ことがファレルの調査で明らかになった、とする見出しを躍らせた。

だが、後に明らかになるように、グローブスらは真実の半分しか語っていなかった。ローブの記事は、この点を詳しく扱っている。

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