とはいえですね、奴はそんなにヤワな相手じゃないですから、身を滑り込ませると言ってもイージーなことではない。そのためには、奴をよくよく観察し続けなければならない。
というわけで、以来10年間、夏が来るたびに、暑さというものをじっくりと観察してまいりました。いうてはなんだが、私ほど日々の気温あるいは湿度あるいは風の変動をじっくり感じて暮らしている人間はそうそういないように思う。
で、よくよく観察してみれば、どんな苦手な相手の中にも少しくらい良いところがあるように、最悪に暑い日も、夕方の気温の下がり方が良い具合に最高だったりするんである。で、その喜びを分かち合おうと、友人に「昨日の夕方涼しかったよねー」などと話しかけるのだが、「え、そう?」と大体は無反応。
なるほど、確かにエアコンつけてたら夕方の気温がどうカッコ良く変化しようがわかるはずもない。文明の利器に頼りきりになってしまうと、物事の細部にはどんどん無関心になっていくのだ。つまりは現代人の多くは、暑さを嫌っている一方で、暑さというものをよく見ようとはしていないのである。
しかし文明の利器と決別した私はそのようなザツなことでは生きていけない。一人黙々と暑さを観察し、暑さの中に身を滑り込ませて過ごす動き方や暮らし方のコツをコツコツと発見してまいりました。
で、まさにチリも積もれば何とやらで、そうこうするうちに今や私にとって、夏は恐るるに足りぬ、それどころかなかなかに過ごしやすい季節になってきたというわけであります。
夏はなんでも「テキトー」にやることも大事
ちなみにその一部を少しだけご紹介しますと、例えばこんなことだ。
夏のフトコロで無理せず生きるためにまず肝心なことは、ゆっくり動くことだ。一番やっちゃいけないのはイライラせかせかすること。それだけで体温上がるからね。
歩くときも、深く、ゆっくりと呼吸をして、慌てず騒がずゆっくりとすべるように移動する。そのためには何事も十分時間の余裕を持って行動すること。それを心がけるだけでも、不快な汗をかくことは格段に少なくなる。
夏はなんでも「テキトー」にやることも大事だ。仕事でも家事でも遊びでも、ああじゃなきゃ、こうじゃなきゃなどと考えるとイライラ体温が上がる。まあいいや、なんとかなるという気持ちでコトに臨むことである。
ちなみに杉浦日向子さんの本によれば、冷房など存在しなかった江戸時代の人は「暑い中で働くなんてヤボ」と夏は働かなかったそうで、それを知った時は思わず大きく頷いたね。
もちろん現代ではそういうわけにもいかないが、この「圧倒的な自然とケンカせずどう生きるか」という考え方には学ぶべきものが多いように思う。ゆえに私もせめて、まったくなんともならない仕事を抱えていたとしても、「うんうんなんとかなる」自分に言い聞かせるようにしている。
なんともならんことも多々あるが、それはそもそもどうやったってなんともならなかったのだと開き直れば良いだけのことである。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら