そうなのだ。「暑い」と一言で言うけれど、よくよく観察してみれば、暑さとは決してべったりと暑いわけではない。暑さにも強弱がある。細かく揺れ動いているのである。ゆっくり歩いているだけで、ガンガンに暑い場所から、ちょっと涼しい場所、かなり涼しい場所へと絶えず状況が変化していく。
そうこうするうちに、日陰、木陰、大きな建物の隙間など、涼しいスポットが見分けられるようになってくる。そうか。この涼しい場所を選んで歩けば案外涼しいんじゃないだろうかと思いつき、やってみれば確かに少しは涼しいんである。暑さの中にも涼しさが隠れているのだ。
つまりはですね、私はこのとき初めて「暑さ」というものをちゃんと「見た」のだと思う。
それまでは、見る必要なんてなかった。何しろエアコンのスイッチ一つで撃退することができたのだから。でもその手段を封じられて暑さと正面から対峙するしかなくなって、仕方なく目を凝らしたら、そこには案外「スキマ」がたくさんあることに気づいたのだ。
例えて言えば、とてもじゃないがどうやっても敵わない、取りつく島もないと思っていたツワモノ揃いの敵軍の中にも、案外心優しい人やおっちょこちょいな人、ええ加減な人もいて、話しているうちに案外仲良くなっちゃったり……というような感じであろうか。
そう気づいたら、私と暑さとの関係は劇的に変わったのであります。
暑さを「味方認定」してみたら
もちろん、暑さそのものは昔も今も変わらない。急に気温が下がったりするわけじゃない。でもそこには案外、私を受け入れてくれる余地もちゃんと用意されていると気づいたら、何も正面から戦わなくたっていいんじゃないかと思えてきたのだ。
そのスキマを利用させていただき、つまりは暑さにそっと身を寄せて、そのフトコロの中でそれなりにヌケヌケと生きて行くことだってできるんじゃないかと思ったのです。
いうてみればジャイアンに取り入るスネ夫みたいなもんですな。
暑さというどうやっても勝てるはずのない巨大な存在を敵認定するのでなく、味方認定する。つまりは暑さの中にちゃっかりと身を滑り込ませてしたたかかに生きることを志す。そんなやり方を模索し始めたのである。
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