「関東/関西」大抵の人が知らない地理感覚の起源 フロンティアは東にあり!「西高東低」の歴史

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墨俣は、一夜城で有名な墨俣ですから美濃国。東の権力、鎌倉幕府の支配が及ぶ領域は、この墨俣から東だったということになる。だから「3つの関の東側が関東」という地理感覚は、頼朝の当時にもまだ生きていたのです。

広大な東北に「国」は2つしか置かれなかった

天武天皇が日本全国に「国」を定めたことは、地方行政にきちんと取り組み、日本を均一に治めようという姿勢の証ではあります。しかしそれにしては、あの広大な東北地方に、たった2つしか国が置かれていない。現在の青森県、岩手県、宮城県、福島県からなる陸奥国と、秋田県と山形県にあたる出羽国です。

これでは手抜きと言われてもしようがない。要するに、奈良の都に住む人たちにとって、東北地方については、正直、地理的な知識も薄かった。その実情についてよく知らなかったのだと思います。

平安時代になって、坂上田村麻呂(758─811)が軍勢を引き連れて東北に向かいます。しかしこれも真剣に東北地方を統治下に収めるために軍事行動を行ったわけではなく、実際のところは威力偵察、すなわち調査目的だった。

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その地の実情を知るために調査隊を出す。その際、非友好的な地域で戦闘を行うことも想定してある程度の規模の兵力を持って進出する。これを軍事の世界では威力偵察と呼びます。たとえば2度にわたってやってきたモンゴル軍も、第1回の文永の役のほうは、あれは威力偵察だったと言われています。

おそらく坂上田村麻呂の軍事行動も、東北の地の完全支配を目指したのではなく、この威力偵察だった。そうしてようやくこの時期になって、朝廷も東北地方の「かたち」を把握するようになってくる。都に対して関東は田舎。そして東北は「さらに遠い田舎」という意識で定着していくことになります。

西は都とそれに準じる先進地域。いっぽう、東国は僻地。よく言えば未開のフロンティア。そうなると、朝廷の秩序のもとでは、もはや出世することが望めない食い詰め者や、新たな可能性を求めて一旗揚げようとする者がどこに向かうかというと、それが関東になる。かつてのアメリカであれば、一旗組は「Go West」で、とりあえずみんな金を掘って一発当てようと西に向かいましたが、日本の場合は「Go East」。朝廷が支配する西から、一旗組は東に向かったのです。

本郷 和人 東京大学史料編纂所教授

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ほんごう かずと / Kazuto Hongo

1960年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所教授。文学博士。東京大学、同大学院で、石井進氏、五味文彦氏に師事。専門は、日本中世政治史、古文書学。『大日本資料 第五編』の編纂を担当。著書に『日本史のツボ』『承久の乱』(文春新書)、『軍事の日本史』(朝日新書)、『乱と変の日本史』(祥伝社新書)、『考える日本史』(河出新書)。監修に『東大教授がおしえる やばい日本史』(ダイヤモンド社)など多数。

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