海外投資という仕事柄、海外出張も頻繁で、いよいよ両立が困難になったとき、泉川さんは転職をする決断を下した。
「子どもがいるから、出張が少ない仕事を探すことにしました。でも、どうせやるなら好きな仕事をと、ずっと前から好きだった映画業界に移ったのです」
ここから泉川さんの十数年における「映画業界でのキャリア」が始まった。
安定した職場で、募る「違和感」
外資系映画配給会社の人事担当として10年勤めた後、シネマコンプレックスを運営する英国系映画配給会社に転職。
そこでは最初から人事や経理、総務を扱う管理部門の本部長として勤務し、およそ40人の部下を持つ立場となった。
「ポジションや仕事内容にはとても満足していた」と言う。
「ただ、その外資系企業は、資本参画した企業がある程度成功したらそれを売り、そのおカネで次に投資するという経営方針でした。そして、当初のもくろみどおり、2003年に、会社の株式をある大手日系映画会社に全額売却し、完全な日系企業に変化を遂げたのです。
すると、経営方針もすっかり日本流に変容。決済ひとつ取るのも、十数人の管理職の承認が必要という社風に変わりました。
私自身、『11番目の決裁者』となり、いつしか社員から回ってくる稟議書を見ては、大したことではないのに『あーん、この表現違うんじゃないの?』なんてイチャモンをつけては、書類を戻すような行動を取るようになっていました。
もともと、トップが『OK! GO!』と言えばすぐ決断できるシンプルでフラットな組織になじんでいたので、そんな状況に少しずつ違和感を覚えるようになりましたね」
それでも、抜群の待遇で処されていた泉川さんは、この会社を辞める気はなかったと言う。
だが、偶然の出会いに導かれ、泉川さんは、イケアというまったく違う職場に転じることになるのだ。
※後編「40代で花開く、新しいキャリアがある!」に続く
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