1993年の入社前を振り返って「大学を卒業するのが怖かった」という山野邉さんは、休学して1年間、海外で過ごした。帰国すると、日本ではバブルが崩壊していた。
入社して間もない頃は「ここで何か足跡を残せなかったら、自分の人生は冴えないまま終わってしまうんだろうなと思っていた」という。ただ、あれこれ高望みしている暇もなく、現場に飲み込まれていった。
山野邉さんの入社当初、HISはまだ従業員数が600名から700名程度の会社だった。最初に配属されたのは営業本部。旅行先の現地とホテルや送迎の手配をするのが主な仕事だった。1日8時間働くとすれば、7時間45分は椅子に座ってキーボードを打っていた。
希望通りの部署に配属されず、気を落とす新入社員も少なくない。山野邉さんも入社前は企画職を志望していたが、企画ができるようになるためにはまず現場を知ることが必要だと考え、脇目も振らず目の前の仕事に打ち込んだ。
現地との調整業務を担当した後、カウンターに出て3~4年どっぷり現場に浸かって仕事を覚えた。その後、ツアー企画に異動し、そこから7~8年ずっと企画畑で過ごした。会社がぐんぐん伸びていくときに、それを支える部署にいられたことで体力的にきついこともあったが、ここでかなり鍛えられた。
HISが今のような大手旅行会社に育ったのには、大きく2つのきっかけがある。
1つは格安航空券の導入。もう1つは、パッケージ内容を変更することができないツアーが主流だったところに、団体旅行やパッケージツアーを利用することなく個人が自由にアレンジできるツアー「FIT(Foreign Independent Tour)」をつくったことにある。
山野邉さんは、その成長を支える部門に身を置き、総客数で同社が他社を追い抜いていくのを目の当たりにした。
絶頂期にマイナー部門へ
そんな折、山野邉さんに意外な部署への異動が告げられる。2009年のことだ。新しい配属先となったのは、これまで一度も経験したことのない法人営業部門だった。
法人営業部門はHISにおける売り上げの1割ほどを占めていた。だが、社内の認識では「マイナー部門」。山野邉さん自身、「もちろんそれまでにも存在を知っていましたが、具体的な仕事についてはあまりよくわかっていませんでした。それに、長年携わってきたツアーの企画がいちばん楽しい仕事だと思っていたので、ステップアップしていくうちにそこから離れるのが寂しいという思いもありました」。
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