東大卒「頭のいい」リーダー人材の致命的な欠点 プロ人材が自分の軸とすべき「インテグリティ」

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しかし自分が正しいと思ったことをするとしても、それが誰にとっての正しさなのかが問題です。従業員に対して、社会に対して、もちろん株主に対してなど、立場によって何が正しいのかは変わってきます。

英語では「Do the right thing(正しいことをする)」という言い方をよくします。その一方にあるのが、「Do the things right(前例どおり正しくやる)」という言い方です。この2つは、よく似ているけれど語順が違う。

例えば私にとっては近年の霞が関の多くの役人がやっていることは、「Do the things right」に見えてしまいます。いや、それ以下かもしれません。

「前例がこうです。法律にはこう書いてあります」「それはできます/できません」というような基準で判断しているだけですから、それはおそらく「Do the right thing」ではありません。

もしも彼らが自分はパブリック・サーバント(公僕)だという気概があれば、たとえ前例を破っても、省益に反することがあっても、時の政権の意に反しても、しなければいけないことをするのが「Do the right thing」ということになります。

それは霞が関官僚だけではなく、ビジネスの世界で生きているプロフェッショナルにも同じことが言えます。やはり「Do the right thing」というのは、言うほど簡単ではありません。

自分の利害を超えた意思決定ができるか?

そもそも「Do the right thing」を考えなければいけない局面というのは、誰かほかの人や、過去の自分のやったことなど、何かと衝突があるからこそ、考えなければいけなくなっているわけです。そういう場面ではどのような意思決定をしても、何か自分の中で犠牲にするものもあるかもしれない。

あるいは今までうまくいっていたものを切り捨てたりしなければいけないかもしれない。それを超えて意思決定をするというのはそれほど簡単ではないでしょう。しかし普段からインテグリティを意識していれば、そういうときでも正しい意思決定ができるのではないか。

社内や社外でトラブルが起きたとき、自分にとって損か得かで判断していると、判断を誤ります。何かもめ事が起きるというのは相手がある話ですから「相手がうんと言うように」とか、「相手を怒らせないように」、あるいは「自分が最後に交渉に勝つように」というような基準でその都度判断をしていると、長期的には道を誤ると思います。

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